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読書感想会 2023/09/09

今日、私が発表させていただくのは
福田恆存さんの
〜 人間の生き方、ものの考え方 〜
です。

この本は4つの講義に分けて書かれていますが
今回は『悪に耐える思想』という講義に対しての
感想を発表します。


そもそも【悪】についてですが、
人を殺すということを例えとしています。
どういう理由があっても、人を殺すことは
悪いことだという道徳律というような考えと、
一方では、ある瞬間において
人を殺したいという本能も存在する。
一人の人間が生きていることは
必ず誰かの犠牲の上に立っている。
とのことです。

それでは、道徳律とはなんなのでしょうか?
私は、絶対的な悪というものはないのではないかと
思っています。
許されないことでも、悲しいことでも、
大義名分で行使されることでも、悪となり得る。
つまり、悪とは、あとから悪と意味づけられているものだと思います。

そして、それを意味づけているのは誰なのかを認識することが
とても重要だと思います。
法律なのか、社会なのか、国なのか、自分なのか…。
他にも当てはまるものはたくさんあると思いますが、
私は” 自分 ”が意味づけているという認識から考察をしました。

とすると、道徳律と言われるものは、絶対的なものではなく、
自分が作り上げている相対的なものとなります。
自分次第で、悪は大きくも小さくもなり、
多くもなり少なくもなり、全てであり無いのででもある
と言えます。

次に、思想的課題についてですが、
前提として思想的混乱という事があるそうです。
この混乱の原因に対する自覚をせず、
解決の道を説いたり、努力したりすることは
ますます混乱を重ねるばかりで、だから大事なことは
混乱している現実を誰でもがその人なりにはっきりと見きわめる事。
であるそうです。

思想に関しても、誰もがその人なりに見きわめるという事は、
偉人や思想家の思想ではなく、” 自分 ”の心に思い浮かんだことや、
” 自分 ”のものの見方という、” 自ら ”の思想と捉えます。

広義のテーマである『悪に耐える思想』を
『(自分が意味づけている)悪に耐える(自らの)思想』と言い換えてみます。
一見すると、自分が意味づけて自分で耐えられるようにするなんて、
おかしく思ったり、簡単なように感じなくもないですが、
自分が思いつく一つ一つの悪と向き合うこと自体が
悪に耐える思想となっていくのだと思いますし、
向き合った分だけ自らの豊かな思想となっていくのではないかと思うと、
それは悪くはないなと思いました。


おあり

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