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【図録レビュ】2007.4.21東京藝術大学大学美術館「パリへー洋画家たちの100年の夢」

日本人が描いた絵は日本画、西洋人が描いた絵は西洋画。
では、日本人が西洋画を模して描いた絵はどちらだろう。
中学高校では、油絵と称される絵。かつては洋画と呼ばれていた。
明治維新より、多くの志ある者たちがパリを目指した。
そんな者たちの遺した精華を紹介する展覧会が、
今回の「パリへ -洋画家たちの100年の夢」である。

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文明開化の当時、パリもまさに印象派が花咲こうとしていた。
日本の若き画家たちもそんなパリと同じ空気を吸い込もうとしていたため、明治初期の洋画は印象派に近く、目を楽しませてくれる作品が少なくないと思う。

日本の洋画史はこの人物から始まった。
ラファエル・コラン「自画像」

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今で言えば、さしづめ”超絶技巧”、印象派というよりは古典派に近いか。

彼の正統な継承者であり、真の意味での印象派を唯一会得した人物。
黒田清輝「湖畔」

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この誰もが目にしたことのある作品。のちの黒田夫人を芦ノ湖畔で描いた作品である。西洋画と日本のモチーフが見事に融合している。

正統があれば異端がある。いやこの後の日本の潮流を考えればこちらが本流となるとも言えまいか。
あえて正統に背を向けた佐伯祐三。「広告塔」

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パリのフォービズムで有名なブラマンクに「このアカデミックが!」と罵倒されたのは有名なエピソード。
常に新しいものを、常に違うことを。
そんな強迫観念に追い詰められていたところは、まさに近代的な自我というにふさわしい。現代美術の精神の原点は、もしかしたら佐伯にあるのかもしれない。

異端でありながらパリの寵児に上り詰めた、世界のフジタ。
藤田嗣治「室内、妻と私」

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藤田もまたアイデンティティに悩まされ続けた生涯、つねに異邦の人だった。その寂しさとひと時の安息が、この作品には表れているようだ。

展覧会では「100年の夢」と謳っているが、私の感想としてはそれは戦争によって断絶されていると思う。何が違うのだろうと考えてみると、それは世界との向き合い方・距離感の違いではないか。

戦前の芸術は、自分の外にある事物を対象としていた。たとえそこに自己の思いや信念を投影したとしても。
一方で現代の芸術は、もっぱら内省や形而上学的なものから生み出されている。作家のとても個人的な体験、心象に由来するものだ。
だから自然、鑑賞する側も作品への向き合い方が違ってくる。
前者は身を委ねるように浸るように、後者は思惟するように没入していくように、と。

この変化は進歩と言うのだろうか。
100年前の画学生が見たら何と言うだろうか。
そう思ったとき、はっと合点がいった。

だから”夢”なのだと。

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