2024/3/19

なあ、お前の生き方にはいつも波がある。人を楽しませる陽気で楽しい男であろうとすることはその全てが俺の偽りでないにせよある程度の仮面をかぶって初めて可能になっていること。つまり、スランプがある。本当の自分だと思わせて生きている俺が、まさにそうであろうと思って生きることにスランプがあることは自分からしてみたらこんな必然的なことはないが、俺がそう演出して交流している他人からすれば理解に苦しむことに思えるし、何より役者にとってそれを喝破されることはまるで舞台袖まで観客から丸見えであることを意味するようだ。一言で言って恥ずかしい。しかし、人は案外俺のがひた隠しに出来ていると思っている舞台袖まできちんと計算に入れて、それをもってなお俺を評価しているのではないかと思うと、本当の自分はこうではないのだと考えることがどれだけ自分の演じ方に自信をもっている驕りだろう。いつもそうやって俺は俺の傲慢さに行き着いて思考が止まってしまう。ああ、俺は俺が思っているほどそこまで賢い男じゃないんだ。きっと俺が考えていて俺の身のこなしなんて人からすれば意外でもなんでもなくて、俺はそれを全て見透かされた上でなお、何かしら一本筋の通っている人間なのだ。そしてそれこそが俺であるにも関わらず、俺だけがそれに気づかず生きているのだ。であるならば俺は俺の人間性について、何より一番裸の王様よろしくこの世の中を渡っているのかもしれない。


ってこれは俺にとってあまり心地よい話ではないし、実際ここに書いていることは俺にとって最も悲観的なことで、いっときの思考の流れの果てで指先が勝手て動いて書いてしまっていることで、これを俺が心の底から考えていることの吐露だと思わないでくれ、いつかこれを読み返す俺よ。年末年始から色々な文章を書いていて、どれだけ俺が見てくれの自分の考えることと、それに皮肉で持って返す自分、そして何より心の底で考えている、最も俺の核である俺が乖離しているかを何回まざまざと見せつけられているか分からない。いつも俺が問いかけて、つまりお前を問いかけて、俺が返す。なんなんだこれは。これまでの自分もわかっていたはずだがこんなことをしようと思ったのはこの数ヶ月が人生で初めてだ。これが俺にとっていいことか。俺が俺の望む未来に向けてするべき、理想的な一歩なのか。そんなことも分からない。気持ちが焦る。俺は結局今こうして安いチェーンのカフェで負け惜しみのように文章を書き続けて、どこに発表するわけでもない、発表しても特に誰も刮目するわけでもないものを書いて、これが俺の望む未来に資するものなのか。未来に資することだけではないと思うし、遠回りこそがみたいな言葉だって知っているし、人が深刻そうな顔をして相談してきたら、さもその苦悩の経験者であるように、そんな分かったようなクリシェを恥ずかしげもなく投げかける俺が、こと最も当事者である時にそういう言葉が全く用をなさないという事実に、俺がこれまで培ってきた言葉たちがどれだけ軽薄なものであったかを思い知らされる。一体俺はこれまでどれだけ軽薄だったのだ。そしてこれからもどれだけ軽薄なのか。いや、しかし、俺は今軽薄な言葉では納得できない状況、絶望にいるのだ。ではここから這い上がれた時の俺の言葉は軽薄でないはずだ。そしてこの文章も、やはり、俺の今の絶望が真実であるのと同じ強度で軽薄じゃないんだ。俺は今軽薄な人生から脱皮しようとしているのだ。かっこいいじゃないか。お前はこの絶望に感謝するんだ。これがお前の文字通り命に迫れば迫るほど、俺はそこから本物の教訓を得られるのだ。お前の今の右往左往、精神の迷宮はきっとこれからお前がどれだけ陽気で明るくて、お調子者で、人を楽しませる人間性に浮上したとしても、それを力強く水面下から支える浮力になる。こうしてお前は、軽薄に浅瀬で足をついているからふらふらしていられるのだと一蹴する勢力が完全に彼らの審美眼の間違いに気づけないくらい、実際は途方もなく水深のある水域で楽に浮いていられる大きな器の人間になれるという次第である。なんて愉快なんだ。想像したら愉快じゃないか。


その時にはきっと遠回りが一番重要なのだと改めて心の底から感じるんだろうか。もし未来の自分が結局そう思うなら今の自分には不愉快だがそんな先のことを今考えるのはやめ。つまり、お前はここから先素晴らしいことがたくさん訪れる。焦ってはいけない。敵勢力が本陣のすぐそこまで迫っていても顔色ひとつ変えず大将としてどっしり座っている戦国武将の胆力にあやかって、そしてそれこそが戦国の英雄を英雄たらしめた人間としての器量と器の大きさであることをもう一度肝に命じて、不確かなこれからの人生に打って出るのだ。今は待つ時だ。用意を怠らず、しかし目先の簡単な喜びになびかずじっと好機を待つのだ。こんなに飽きず毎日書けもしないのにカフェに出張って、マックを広げてみているのだ。結局していることはこういうありのままの自分の心と向き合う極めて私的な努力だけであるが、これすらもきっと俺にとって今重要なことなんだ。自分の行動は自分という人工知能が編み出した最善手を無意識に打っているはずなのだ。だからこれはこれの経験が俺を突き動かす今の俺にとって最も良い行いの一つ。だから今はその心に押し流されよう。それでいい。本物の海と違って、沖合に流されても、何か、何か、何か、(本当に何か、なんだ)それさえあったらいつだってすぐに自分の好きな場所に行けるものだ。俺がたゆたう場所はそういう海だ。だから、今は気持ちの赴くままに。きっと何かが、何かが、俺の心を動かして、俺はそれに取り憑かれて、そのために是非とも俺の五体を惜しげも無く動かすことになる。待つんだ。自機を待つんだ。英雄とはそういうものなんだ。焦ったらダメなんだ。焦ったらダメだ。待つ時は待つ。今はそういう時だ。

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