【過去選♯2】花に嵐のたとえもあるさ

先日一ヶ月半住み込んだバイト先をやめた。



客観的に考えて短い期間だが、ほぼ毎日何時間も労働するとなれば、やはり濃密な分長く感じられるものである。





その職場には他に三人の住み込みアルバイターがいた。メアドもラインも電話番号も交換せず正直名前も危うい四人組だった。


一番若いのは僕で、他の人は二十五~三十八歳と年上だった。こんなところの人間関係で『一期一会ですね!』なんてのも若すぎる。我々はただ、共に酒を運び、部屋を掃除し、飯を食っていた。


そのうちの一人が僕より一日先に住み込みを終えることとなった。比較的一番仲良くしていた人であった。彼は何も捨てるものがないと自称する人で、事実持ち物は小さなリュック一つであった。彼は最後まで呑気に笑いながらこう言う。


「それではよい人生を」


特に考えず僕も応える。

「またどこかで」


そのまま彼は一日数本のバスに乗り込み呑気に笑いながら手を振った。僕としてもここで感傷的になろうとするのも変な話だと思い、呑気に手を振った。どこまでも無機質なバスの車体は容赦なくスピードを上げ、終いに右カーブの中に姿を消した。


直後、僕の中に不思議な感覚がツーンときた。これまで経験したことのない感覚だった。涙腺はいくぶん緩み、しかし頬は笑んでいた。普段より足が軽く、顔は自然と上を向いた。そして静かに、しかし決然と、世界が優しくこう囁くことを確かに聴いたのである。


「これが別れなんだよ」


ああ、これが別れだったのか。かつて漢詩で悲しく詠われた別れとはこうだったのか。江戸時代、都へ旅立つ者の惜別とはこうだったのか。


思い返してみるとそれは過去幾人が詠んだ別れとは比べようもなくちっぽけなものであったわけだが、僕には新鮮だ。思えば携帯電話を手にして以降、僕はこのような分かりやすい「別れ」を奪われ続けていた。姿が見えなくなったら数分後にはどこで何しているかを把握し、長く会っていなくとも誰がどこで何しているかをだいたい知ることが出来ている。喪失の恐怖を無化した仇は、僕の感情から生物にありうべき切なさの裾野を放逐してしまったのではないか。まさに幸か不幸か。


それから僕はその時の感情をよく反復しては思い出す。


花に嵐のたとえもあるさ
サヨナラだけが人生だ


井伏鱒二だったか。いや、通信機器じゃどうにもならない「別れ」は今もそこかしこだ。現に僕がこと一大事のように悩むことも全て分かりやすい形が変形した「別れ」ではないか。一ヶ月半だろうが百年だろうが人生は全て「別れ」なのではないか。それは悲しみより清々しさなのではないか。だから僕の頬はあの時笑んでいたのではないか。いっそスマホの連絡先を全て消していいのではないか。消してしまっていいのではないか。いっそ消そう。よし消そう。



って言って、結局消さない自分が実は少し好きだったりもする。





※この記事は2017年7月21日に、はてなブログ「隔日おおはしゃぎ」に掲載されたものに加筆、修正したものです

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