駅まで送る
遂に実家を出たんよ。
ニ度目だったね。
一度目は、大学入学の時だった。
母親が遠い札幌まで来て、二日間くらい洗濯物に掃除に、家事を全部していってくれた。
そして、帰っていった。
親から離れたくて、自分で自分だけの家、コミュニティ、生活がしたくて遠い大学を選んだのに、早速親の甲斐甲斐しい世話を受けるなんて、本末転倒やんけ、と思った。
だから、母親を駅にも送らなかった。
家の前で「それじゃあ、」と言う僕を、母がどんな顔をして見ていたかはもうあんまり覚えてはいない。
でも、母親が角に消えるまで僕はそこに立っていた。
なんかね、その瞬間に、ああ終わったんだなって思った。
新生活の始まりに、そう思った。
それからは、自由奔放に気ままに過ごした。
すごい楽しかったな。
たまに帰省しては、あの瞬間のことなんて忘れて、「久々の母親の飯は~」なんて言いながら過ごした。
一度だけ、その瞬間のことを母親が言っていたことがあったと思う。
「あ、駅まで来てくれへんねや、って」
その頃は、とにかく形式的な事が大嫌いで、挨拶さえ満足にしなかった僕だった。だから、丁寧に駅まで送るなんて、偽善者のすることだなんてすら思っていたのかもしれない。いや、今となっては、遠くの大学へ来た理由を二日目にして曲げたくなっただけの頑固さだったんだろう。当時の僕はそんな事認めないんだろうけれども。
いつの間にか、僕は、遠くから来た人は必ず駅まで送るようになった。
送るべきだからとかじゃなくて、でも何か人間味のある理由があるからでもなくて。
いずれ必ず別れる瞬間が来るのだとしても、自分の怠惰さゆえにその瞬間を早めてしまう事がつらい。
ニ度目だった。実家を出たんよ。
やけに重たいスーツケースに、満足に弾けもしないギターを担いだ。
行ってきます、と言った。
両親は不思議そうな顔をして、僕のスーツケースを重そうに車に載せていた。
そして最寄りの駅まで僕を乗せていった。
駅で、二階の改札までのエレベーターから見た、汚く曇ったガラス越しのうっすらとした、こじんまりとした二つの影を、僕は生涯脳裏から消し去ることは出来ないのだろう。
札幌発の劇団Road of座のブログです。主に代表で役者の大橋が更新しています。サポートよろしくお願いします!