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単細胞やなぁ。

恐れる事は決して悪いことではない。
だが、その恐れる心を他人に押し付けて不安を煽ることは悪い事である。

何事においても備えは大切。
安寧な時こそ余裕をもってしっかりと備えることが大切。

でも最近はそこに陰謀めいた事を仄めかして不安を掻き立てる人を多く目にする。
俺が常に部下に指導していることは、他人に見返りを求めない。
そして正しく畏れよ。

天変地異に対して、自然に畏怖の念を抱くのは地球に生きる生物として正しい。
でもそれをどこぞの国がやった実験だの、事故をどこぞの国からの攻撃だのと正しく恐れ、正しい原因究明をすることを阻害する論調が目立つ。
誰かのせいにするのは簡単だけれど、それでは何も生まれない。生まれるとすれば恨みくらいか。
そんなのはとても文明的とは言えない。

もしそれが何者かによる攻撃だというのであれば、それを如何に防ぐかという議論に発展させなければ未来はない。
目にするのは誰それは情報を聞きつけて外遊と称して海外逃亡している。気にいらない。
こんなレベルの話ばかり。
少なくとも災害や不幸な出来事を自分たちの憂さ晴らしのような捌け口にするべきではない。

すべての物事には何かしらの因果関係がある。
絶対なんてものは存在しない。
ミスをするはずが無いとかそんなことどうして断言できるのか。
安全というのは世の中に存在する全ての不安要素をできる限り潰して保たれているに過ぎない。
安全は存在しない。
しっかり注意しているからたまたま何もないだけなのだ。

誰かのせいにばかりして本質を見ようとしない陰謀論には本当に反吐が出る。
もう少し沸騰湯沸し器にならずに冷静に物事を見る視点を持てないものだろうか。

Twitterを見ていてふと思った徒然日記でした。

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