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難しいことを簡単に知りたい!〜子どもに嫌われるための哲学〜

先生:それでは今日の授業を終わりにします。しっかり復習してくださいね。

生徒:先生!今日の授業が難しかったのですが、サルでもわかるように説明してください!

先生:もう一回説明するのはやぶさかでないのですが、サルでもわかるようにというのは無理です。

生徒:先生は教えるプロなのにできないんですか?

先生:もちろん限界はありますよ。ところで、授業が難しかったのですか?

生徒:難しかったです!もうちんぷんかんぷんで。

先生:では、難しいことを簡単に説明したり、理解したりすることはできると思いますか?

生徒:できるんじゃないですか?書店でもそういう本や参考書があるし、インターネットにはいくらでも解説動画とかあるじゃないですか。

先生:はっきり言って、まやかしであるケースもあると思います。難しいことが簡単なことになったら、もうそれは難しいことではないからです。例えば、あなたが相対性理論を比喩や例え話で理解することがあるかもしれません。でも、それはあくまで概要を理解しただけです。内部の数式の意味や、数式を使って実際上の問題に適用することはできません。あなたは難しいことを簡単に理解したのではなく、簡単なことを簡単に理解したに過ぎないのです。

生徒:でも、同じことを教えるのにわかりやすい先生と、わかりにくい先生がいると思います。難しいことを簡単に説明できる人と、そうでない人がいる証拠ではないですか?

先生:その違いは、話し方や伝え方が異なったり、生徒の知的な水準や特徴に合わせて教え方を変えられるか否かの違いでしょう。わかりやすい説明は、伝えるべき内容そのものが簡単になることとは別のことです。

生徒:ということは、わかりやすい説明は難しいことを理解しやすくはするけど、内容として難しいことは難しいままということですか?

先生:そうです。簡単なことになったらそれはもう別ものです。

生徒:じゃあ、無知な生徒は難しいことが理解できないということですか?

先生:夢のない話で恐縮ですが、一足飛びには理解できないでしょう。なぜ、小学校から大学まで段階があり、なぜ本格的な学問の習得には時間がかかるのか考えてみてください。難しいことが簡単に理解できたら、こんなに面倒なことはせずに済んだはずです。でも、それは叶わないことです。難しいことは難しいからこそ、基礎的な知識から積み上げた上でしか理解できず、習得に時間を要するのです。簡単に理解できることはあくまでもともと簡単なことに過ぎません。
わかりやすい説明は、習得にかかる時間を短くするでしょうが、難しいことを簡単にするわけではないのです。その時短のことを「簡単に」と呼ぶこともあるでしょうが、内容そのものが簡単になるわけではないのです。
あるコンテンツが、難しいことを時短して理解させてくれるものなのか、難しいことをただ水準を落として簡単なことにしているだけなのか、その見極めは意外と難しいかもしれませんね。

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