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12歳の僕へ

「ちなみにお前目標ってあるの?」

 その言葉は、ある日、吉祥寺の飲み屋で一緒に飲んでいた大学時代の先輩から、何の気なしに放たれた。

 目標

 30歳を過ぎた僕のような人間には、なんだかそれを語るには、あまりにも遅すぎるような気がしていた。
「目標は?」
その問いかけは、誰の人生にとっても、きっと幾度となく問いかけられる質問であり、僕自身、今までの人生で、何度その問いかけを耳にしたかわからない。特に10代や20代のうちなど、学校の先生や両親、友達や会社の上司など、まあ理にいるありとあらゆる人から問いかけられる言葉だろう。

 しかし、その問いかけに対して、僕は今の今まで、ただの一度も答えられたことがなかった。
 というより、答える度胸がないと言ったほうがいい。

 目標というのはなかなか怖いもので、一度決心してしまおうものなら、その瞬間から、自分自身に向けて、そのための努力と責任を課さなければならなくなる。たとえ叶わないような目標であったとしても、そうして口にしてしまったが最後、その責任は果たさなければならないものになる。そう、責任だ。この責任という重い重い言葉から、僕は30年間、今日の今日まで逃げ続けてきたのだ。

 しかし、その日はなんとなく、答えなければならないような気がした。根拠はない。しかし、そんな何の根拠もない僕でも「この質問から逃げる時間はもう終わりだ」というある種の確信がその日はあった。それは、僕が今の今まで逃げ続けてきた、「責任」という言葉と対峙しなければならないタイムリミットが、いよいよやってきたのだという思いと、もう今までのように格好つけて答えをはぐらかす時間ももう終わりなのだという思いと・・・とにかく、ありとあらゆる有効期限が、今の僕には切れてしまったのだという確信があったのだ。




 しかし、たとえそう思っても、やはり僕の口から、その質問の答えは咄嗟には出てこなかった。
 責任の二文字から逃れ続けていた僕には、その答えは浮かびようもなかった。

 だがそうして逡巡しているうちに、ふと僕は、ある一人の青年の言葉を思い出した。

 その青年は、ある日の夜中、たまたまテレビをつけたときに偶然放送されていた、NHKのドキュメンタリー番組に偶然出演されていた方だ。彼は中学時代に、同級生から想像を絶するようなイジメを毎日のように受けるというとても痛ましい経験をされた青年であり、その青年も、取材をしている記者の方から、やはり僕と同じ質問をされていた。

「何か目標とかは、あるんですか?」

 番組の取材記者にそう尋ねられた彼は、少々困惑したような表情を浮かべ、少しの間を置いてから、こう答えた。

「特にないです。ただ、今日を生き延びることですかね」

 
 その答えを聞いた時、僕は彼の勇気に、そしてそのあまりにも誠実で真摯な答えに、なんて彼は強い人間だろうと、そう思ったと同時に、自分の答えを、その彼の姿から、初めて教えてもらったようなそんな気がしたのだ。

 だから、僕は、先輩の質問に、こう答えた。

「とりあえず、今日を生き延びることですかね」と。

 その答えを聞いて、僕の先輩は、呆れたように答えた。戦争中の国ならともかく、この恵まれた日本という国で、今日を生き延びるだなんて、それも、僕のように、いい歳をして未だに実家から出ることなく暮らしているような人間にとって、そんな甘いことは何の苦もなくできることじゃないかと。それはぐうの音も出ない一言で、全くもってその通りであって、僕は一気に、そんな答えをした自分が恥ずかしくなった。

 しかし、たとえ恥ずかしくても、その答えは、自分にとって、嘘をついたという思いもなければ、格好をつけてはぐらかしたという思いもなかった。

 そして、このことを帰りの電車で考えているうちに、もう一つ、自分にとって、もう少しだけ正確な答えが浮かんできた。

それは

「中学一年生の頃の自分に、君は君のままで大丈夫だよと、そう言って安心させてあげられる大人になること」だ。



 僕にも、中学時代のある一時期、同級生から毎日のようにイジメを受けた日々があった。その学校は中学受験を経て入学した、家から1時間ほどかけて通学する学校であり、当然そこには僕の知り合いなどは誰一人おらず、友達らしい友達も作れないうちに、気づけば僕はいじめられる日々が続いていた。それは勿論、テレビで見た青年と比べたら、遥かに軽いものだった。せいぜい上履きや名札を隠されたり、教科書やノートを盗まれたりと言った程度であり、またその程度のいじめなら、同じように受けている人間も、同じ学年には何人もいた。けれども、その日々が僕にとって、逃げ出したいほど辛い日々であることには変わりなかった。加えて、当時の僕は、小学校の頃とは比べ物にならないほど難しくなった進学校の勉強に全くついて行くことが出来ず、赤点ギリギリの点数を取っては、「何のために高い学費を払ってるんだ」と、家でも怒られてばかりいた。

 学校と家庭。

 12歳の僕に取って、世界の全てと言ってもいいこの二つの世界の両方から、僕は嫌われていた。

「死にたい」

というのは言い過ぎかもしれないが、

「生きていたくない」

そんな思いが、どこかその頃の僕にはあったのだ。

 そして多分、その12歳の僕は、今も僕の心の中に住み続けている。間違いなく僕にとって、人生で最も過酷な日々を過ごした時間であり、おそらくどんなに辛いことがあっても、あの日よりはマシなんじゃないかと、どこか今の僕にはそう思える。そして、今日の僕が、今もこうして生きていられるのは、周りの助けや、そんな日々の中でも僕に出来た大切な友人たちや、家族のおかげでもあるのだが、同時に、あの日、生きるという日々から逃げ出しそうになっていた12歳の僕が、それでも死を選ぶことなく、生きるという選択をしてくれたおかげでもあるのだ。

 だから僕は、あの日、12歳の頃の僕を、裏切るわけにはいかないのだ。立派な人間にはとてもなれないし、独り立ちできる人間にも、責任感のある大人にも未だなれない僕だけれど、せめて、

 あの日の僕を、ちゃんと慰めてあげられるような、君は君のままで大丈夫だからと、そう言ってあげられる大人に、僕はならなければならないのだ。

 それが、今の今まで、何の決意もできなかった僕にとって、初めてできた決意なのだ。

 12歳の僕。

 今の僕がいるのは、君が辛い辛い毎日を、生き延びてくれたおかげなんだ。

 君がそんな毎日を耐えてくれたからこそ、今の僕は生きているんだ。

 12歳の僕。 

 君はきっと、世界の誰も、自分のことなど必要としていないと、きっとそう思っていることだろう。そしてそんな君に、そんなことないよ、君の家族や学校の皆も、君が死んだりしたらきっと悲しむよ、なんて、そんな気休めの言葉は届くはずがない。そんな言葉が届くほど、君の心の傷は浅いものじゃないと、僕は痛いほど良く知っている。

 だから、君に一言だけ、言っておきたいんだ。

 たとえ世界の誰もが、君を必要としなくても、地球上の誰もが君を必要としていなくとも、

 今の30歳の僕に取っては、君が必要なんだと。

 そして何より、12歳の君自身にとって、君という人間は必要なんだと。


 ありがとう、生きていてくれて。

 ありがとう、未来の僕を守ってくれて。

 僕は、君のおかげで今日も生きている。だから僕は、君に恩返しをしなきゃいけない。君が君のままで生きたとしても、それでも君が安心できるような人間に、僕はならなきゃいけない。

 君のためだったら、情けない僕だけど、もう少しだけ頑張れると思うんだ。

 12歳の僕が、安心して、胸を張れる僕になる。

 多分そんなことが、今の僕の目標みたいだ。



 どうやら僕には、今日初めて、目標ができたみたいだ。目標を作るにはあまりにも遅く、そして30歳の目標にしてみれば、これはあまりにも曖昧であやふやで、何より子供染みた貧弱なもののようにも思う。

 けれども、他のどんな目標よりも、今の僕には、勇気をくれる目標なのだ。

 だから僕は、今日という日を生き延びようと思う。

 12歳の僕が、ちゃんと安心できるように。

 彼が彼のまま、生きていられるように。
 今日も僕は、頑張ろうと思う。

 ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。オゴポゴは今日も、今日という1日を生きようと思います。