自分なりの心理学との付き合い方
心理学を少しかじると、話をしている相手の仕草がやけに目につくようになる。
「あ、急に腕組みした」とか「口元に手をやったな」とか、そんな仕草にもそれなりに意味があるようだ。この場合だと、腕組みは拒絶を示しているだとか、口元への手は嘘隠しの意味があるだとか。とまあ、少しだけ知った状態になると、会話中に話以外のものに気を取られるようになったりする。
知る前には気にも留めなかったことに、だ。
それが何とも嫌だった。
私は結構早い段階で、人の仕草だとか心理について調べることをやめた。
なんだか、心理学を知って人と関わることに不快感があったのだ。
じゃあなんでそもそもそんなことを調べていたのか、ということになるけどただの興味本位だ。有効活用できたら人より一歩先を歩けるかも~とか思っていたのだ。最初はね。
人と話しているときに「〇〇したってことは△△の方がいいか」とか「〇〇!今がチャンス!」みたいなことを考えてしまうようなら、その人はきっと、今話をしている相手と向き合っていない。その人が見ているのは相手の心理を知るための情報だけ。
そんなの会話じゃないよな…
自分にはそう思えた。
少なくとも、自分は心理学を知らないおかげで、今そこにいる人と向き合えているのだと思う。
目に映るもの全てが相手の心理を知る情報になってしまったら、気が散っちゃってしょうがないでしょ。
人の心理を知ろうとすることは悪いことではないと思う。
それこそ、有効活用すれば人生変わったりするかもしれないし。
それが必要な人だけ学べばいい。
ただ自分には必要なかった。それだけ。
「使えるものはつかおうよ!」という考えは、今回の自分には当てはまらなかったようだ。
わからなくていい。
わからないおかげで、自分のままで関われるんだから。
この先、学んでいればうまく対処できたかもしれないことだって出てくるかもしれない。……実際はそのパターンの方が多いんだろうな。でも、それをわかっていても、利用する気にはなれないから。知ることだけが益じゃないでしょ。そう結論づけたよ。
…
あ、でも、もしもだよ、これから必要になったら、そのときは力になってくれるかな?
都合がいいのはお互い様でしょ?
こんな気持ちです。
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