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なぜ、スターウォーズは心理描写を省くのか?

こんにちは、天歩りなです。

これまでスターウォーズについて綴ってきましたけど、これからじっくり映画を観てみようかなと思ってくださった方もいらっしゃるかもしれません。
(え…いないかな…泣。いると仮定しておきましょう!笑)

そういった人に、ひとつお伝えしておかなきゃなと思うことがあります。

それは、映画を観ただけでは残念ながら分かりません、実は…という点です。
何故かというと、スターウォーズってわりと細かい心理描写などを省いてるんですよね。

例えば、ヨーダが良い事を言ったとしても、それに関してじっくり考える時間は与えず、すぐに場面を変えてしまったりするんですよ。
場面転換は多いですね~。コロコロコロコロ場面は変わります。
あっち行ったりこっち行ったり場面を変えちゃって、こちら側に考える余地を与えない印象があります 。

あまりにも軽く仕上げている大事な場面もあります。
それは、エピソード6の最後の場面です。

主人公のルークが悪のボス、パルパティーンにやられそうになる、つまり殺されそうにるんですが、その時にルークは「父さん助けて!」とダースベイダーに急に助けを求めます。
ついさっきまで、「おのれ~~!!」って感じでライトセーバーを振り回して戦っていた相手ですよ?笑
それが、自分がやられそうになったら急に「父さん、助けて!」って…。何??何の茶番??っていう感じです。

ダースベイダーもダースベイダーで、そのルークの「助けて!」という言葉を聞いた途端、コロッと手の平を返したように改心するんですよ。
あんなに悪に染まっていたダースベイダーなのに、息子が「助けて!」って言っただけで息子を攻撃している悪のボス、パルパティーンをヒョイっと持ち上げて、えいや~!と宇宙に投げ落としてしまうんです。


このシーンでも、映画の中では細かいことを一切説明してないです。この間にも、ルークが悟った事があり、それがダースベイダーに影響を与えているわけですけども、不親切にも程があるほどその描写や説明を省きまくっています。

こういったことを、どうしてするのかな?って考えてみたんですけど、私の考えでは、おそらく子供から大人まで幅広い年齢層の大勢の人にまず観てもらうこと。これを最優先にしたかったのではないかと考えています。

仕込まれたメッセージ性のある世界観を広く伝えるためには、まずは多くの人に興味を持ってもらわなきゃいけないわけです。
それと、興行収入を得るため。儲からないと意味ないですからね…。儲からないと、続編も作れなければ最新の映像技術を駆使した映画も作れないわけですよ。
そういったことを叶えるには、万人受けする内容というのが必要になってきます。子供も楽しんで観ることができて楽しめて、記憶に残る映画になるということが大事。子供でも楽しめるストーリーというものに深い話は必要ない。むしろ単純でわかりやすいストーリというものが求められます。
そうやって子供でも気楽に楽しんでもらっておいて、後から、実は…というふうに裏設定を流す。


子供の頃に観てファンになった人が、何十年の時を経て大人になり、様々なしがらみなんかを感じながら、経験していきながら生きていくわけです。
そんな時に、ふとスターウォーズの人生哲学的なメッセージを受け取る。今度はその深みに魅了されていくんですね。
私もそのパターンです。


子供の頃に無邪気にワクワク感を持ってファンになった人が、大人になってその哲学に触れ自分の人生に照らし合わせて考え、何かを気づくきっかけとなる。まあそんな流れですけども、これがもし、ジョージルーカスが最初から計画していた仕組みだったとしたら??
私はその考えに自分が及んだ時に、足先から頭のてっぺんまでゾワゾワゾワっとしました。もしそうだとしたら、ジョージルーカスすごくない??って。
どうなんでしょうね、実際のところは。そこまで考えてたのでしょうか。
一度ジョージに聞いてみたいですね…笑

でもね、あの作品のあまりにも省いちゃってるところだとか、でも裏には深い深い世界があったりだとか、そういうことを考えると、あながち間違ってもないんじゃないかなあ…なんて思ってます。


まぁ、説明してくれない作品だからこそ、こうやって私みたいに、実はこうなんだよ、ああなんだよと話す機会を与えられているわけです。面白いですね…。



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