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わたしはわたしがままならない

わたしは正誤にこだわる。正しい、正しくないが世界に対する価値基準で、他者にも自分にもそれを当てはめる。他者に関しては相手を正誤で判断はするけれど、それをあまり口に出すことはしない。自分にとって「どうでもいい」相手には特にそうして振る舞う。これも興味関心の幅の狭さというASDの特性によるものだ。自分にとって比重の大きい他者にはあれこれ口を出してしまうので、気をつけないといけないところでもある。

自分が「正しいか」「正しくないか」という価値基準は、とても苦しい。これまでの人生の中であらゆる選択をしてきたが、どれも自分だけではどうしても決められなかった。他者承認がなければ自分が「正しい」のかわからず、不安だったからだ。自分の考えはある。おそらくそれが最善の手段であることもわかっていてそれを選択しようとするが、それが「正しい」ことなのかはどうしてもわからない。

少し前から自分の行動や選択に自信が持てない時、それが今のわたしにとって「必要」か「不要か」を考えてみることにしている。例えばわたしは今無職だが、それはわたしの中のルールでは正しくない。働かなければいけないと思っているからだ。でも今休養することは必要だと思っているし、自分と社会との間にある困難に向き合う時間も必要だと思っている。そうして考えることで、多少なりとも不安は減った。自分にとって必要なことはするべきだし、困難さと向き合うことは今後生きていく中でわたしの手綱となるものだと思っているからだ。

それでも苦しい。それはわたしが自分に対して「それって甘えじゃない?」と投げかけているから。


わたしの通っていた小学校は、自立することを校風の一つに掲げていた。生徒がのびのびと学校生活を送り、その中で自主性や自己決定を促すといった教育方針だったと記憶している。聞こえはいい。その校風に沿った指導をしていた教師も確かにいる。でもそうでない教師も多かった。

学校では、良くも悪くも「均一性」が重視されていたように思う。輪からはみ出す生徒が叱られている場面はよく見ていたし、授業の回答一つ取っても「合っていない」ことはあまり認められなかった。答えは常に一つだけで、それ以外は不正解。そんな空気は幼少期のわたしでも十分に感じていて、「正解ルート」から外れない、これが「正しいこと」だと確信を持ったことしか言えないような場面があった。

わたしの中で自己責任論が育っていったのがいつ頃からかはわからないが、きっかけは小学校の時期にあったように思う。わたしはたまに忘れ物をした。教師に叱られることもあった。自分が忘れたんだから、自分でなんとかしなさい。そう言われ、姉に絵具セットを借りに行ったこともある。家に取りに帰りなさいと言われたこともあった。走って家に帰り、自宅に母がいなかった時の絶望感といったらない。忘れ物をしたことで授業が受けられない。学校が必要なものを借してくれるということは記憶の限りではなかった。周囲の人は助けてくれない。そんなことを学んだように思う。

今にして思えば、大きな緊張感の中で学校生活を送っていた。そんなわたしが不登校になるのは、考えてみれば当たり前のことなのかもしれない。


10代の頃、引きこもりになった。朝になったら寝て、夕方に起きた。インターネットが全てで、毎日アニメを見たり、2ちゃんねるの実況スレに張り付いてラジオを聞いたり、映画を見たりしていた。精神状態はあまり良くなかったように思う。なんとなく死にたかったし、リストカットもした。ODをして丸一日寝ていたこともあったし、とにかく自分を傷つけたくてしょうがなかった。その頃、苦しい、と感じるたびに思っていたことがある。「どうしてわたしはみんなと同じようにできないんだ」「みんなと同じように生きたかった」「そうできないわたしは存在していること自体が間違っている」「だから死にたい」そんなことをずっと考え、泣いていた。

人と同じである、ということは、とてつもない安心感を与えてくれる。マジョリティであれば、他者から攻撃されることは少ないからだ。仕事をしている、友人がいる、恋人がいる、健康である、自立している。そのどれにも、わたしは所属していなかった。マイノリティであるということは「あなたは正しくない」と言われる可能性があるということだ。人は自分の価値基準で他者を簡単にジャッジする。わたしがそうしているように。

今でこそ多様性が認められるような社会に変わりつつあるが、わたしが10代の頃はそんな空気など欠片もなかった。社会からドロップアウトした人間が復帰できるルートもなかったし、相談できる場所も少なかった。引きこもりを脱した時、正社員で働くことは初めから諦めていた。アルバイトをしながら、結婚でもしてなんとか生きていかなければいけないと、そんな強迫観念にも似たものに追われていたように思う。まあその後、結果はどうあれ結婚することになったのだから、自分の執念というか、こうすると決めたことは何がなんでも達成しようとする性格と勢いはすごいと思う。


わたしは人に迷惑をかけてはいけないと思っている。細かく言えば「親に」迷惑をかけてはいけないと思っている。昔から心配ばかりかけてきた。小学校で不登校になり、私立の中学受験を決めるも当日不安から試験に行けず、そのまま公立の中学も通わなかった。フリースクールには通っていたけれど、それだって随分なお金がかかっていたと思う。高校は推薦をもらって電車で一時間の私立の学校に入学できたが、それだって二年の途中で退学した。通信制高校に入学したが続かず、結局別の高校に入学し卒業できたのは二十歳の頃だ。その間だって、スクーリングでパニックを起こして持っていた薬を全部服薬し救急車で運ばれそのまま精神科病棟に入院したし、退院後も通院は母に付き添ってもらっていた。卒業後一人暮らしを始めたが、アルバイト先でうまくいかず、リストカットやODを繰り返し、もう全てがめちゃくちゃになって通院をやめた。そこから暫くは安定していたが、結婚、離婚、就労移行支援を利用し就職、月200時間の労働に負け休職、復職するももう無理だと退職、となんと波乱万丈であることか。ありとあらゆる人生の負のイベントを網羅したような気持ちになる。その間、両親はずっと金銭面を含め、援助をしてくれていた。これ以上両親にどうやって迷惑と心配をかければいいのかと考えてしまうのは不思議なことでもなんでもない。


自分のことは自分でなんとかしなさい。そう言われたことは、わたしの中に思いの外強く根付いていて、自分のことを満足に扱えない、ままならない、というのは想像以上に苦しい。

人は迷惑をかける生き物だし、依存先を増やすことが自立である、ということはわたしの持論のひとつだ。それでもこれまでを振り返って、自分の人生のあまりのままならなさに虚しくなる。その時々を精一杯生きてきたとは思っているけれど、それがなんのためにあったのかが理解できないからだ。

「それって甘えじゃない?」そう自分で自分の首を絞めているけれど、そうする理由もわかっている。わたしの中のルールから外れているし、わたしはわたしを許せていないからだ。それは現状が「正しい」のかわからない不安からで、外に出ても楽しくなかったり、落ち込む日が多かったり、回復の兆しが見えてこないから。自分に厳しくすることで、これまで発破をかけて行動に移してきた。「甘え」はその着火剤だ。ただ今は、その着火剤を用いても火はつかない。だから苦しい。

その時々で楽しいこともあった。大切な友人もできた。他に替えがたい経験もできたと思っている。それでもわたしが自分を受け入れられないのは、自分が生まれてきたことが「正しい」と思えないから。自分が生まれなかったことこそが「正しい」と思っているから。

わたしを受け入れてくれた家族に対して、いつまで罪悪感を持つかはわからない。ただ、わたしはわたしがままならない。どんな形で生きていくのが「正しい」のか、この正しさにとらわれている自分が「合っている」のか、人生に最適解なんてないことは承知の上で、それでもこの生き方しか選択できないのかもしれないと、そんなことばかりを考えている。

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