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人はナラティブの生き物

先日のSUNABACOさんのセミナーがまた、私にとって非常に有益なものでした。


うっかり、ほかの講座にご参加されたことのある卒業生向けのセミナーと勘違いしておりましたのでリアタイは逃してしまいましたが、のちにYouTubeでアーカイブがあることに気づき、視聴させていただきました。

ちなみに私はまとめるわけではなく個人の感想を書きますので、まとめを読まれたい方はしょうこさん(@shokosaurus)の書かれたこちらの記事がすごくオススメです◎


どうやったら伝わるんだろう??

今回のセミナーの根幹となる部分はいくつかあったと感じていますが、私にとって一番勉強になったのは「伝えることへの意識」と「相手のナラティブを意識した行動を心がける」ということです。

「伝わること」について考える時、私はどうしてもトラウマのような出来事をセットで思い出します。

「春道、お前は一体何回言ったらわかるんだ?」
「頼むから俺の時間を取らせないでくれ」
「そんなこともわからないのか?もう荷物をまとめて田舎に帰れ」

物分かりが悪い私は幼少期からそれで何回も怒鳴られた経験もあり、そもそも苦手だったのですが、仕事で怒鳴られる経験も含めてすっかりトラウマになってしまいました。

また、伝わるということは私にとって相手に伝えることと共に、相手が言ったことを自分が理解することでもあります。

同様に私は、誰かに思いを伝えることもすごく苦手でした。

物分かりが悪い私は幼少期からそれで何回も怒鳴られた経験もあり、すっかりそういったことは苦手になりました。

「話長ぇなぁお前」
「で?結局何が言いたいんだお前?」
「伝えることも満足にできないのか?荷物まとめて田舎に帰れ」

もともと子どもの時からすごく苦手なのですが、そうやって感じることが仕事を通して、友だちとのコミュニケーションを通して増えることでその苦手意識というものは増していきました。

自分の経験を通して感じたこと

そういうことをずっと繰り返して、自分の苦しい時間が少しでも減るようにもがきながら過ごしてきたので、人の言いたいことや感じていることを読み取ること、察しようとすることにすごく敏感になりました。

もちろん敏感になったから出来るわけでもありません。人の心を読むなんてできっこありませんから。

ただそうしていると相談を受けた時にある気持ちが芽生えるようになりました。

「相談は受けているけど、この人にとってはどう答えることが正解なんだろう?」

言い換えると、「相手の真意はなんだろう?」を考えることです。

例えば目の前の人から「仕事を辞めて大好きな音楽の道で食っていきたいんだ!!」と相談を受けた時、大枠の答えは「リスクがあるからやめとけ!」「一回きりの人生だから頑張ろう!」の2択になるんじゃないでしょうか?

その際に感じるのは「相談してるこの人の中では答えは決まってて、安心を得るために誰かの意見を決断に組み込みたいんだろうな」ということ。

つまり上の話で言えば「仕事辞めるのはほぼ確定事項だけどやっぱり怖いから誰かの意見に背中を押されたい」みたいな話です。

こうした場面に直面した時、私は意見とそぐわなくても「いいんじゃない?」となるべく背中を押すようにしてきました。誰かがどうしたいかの方が大切であるべきです。ただ、そんな人へ自分がどう力を貸せるかについては力不足を感じていました。

(ちなみにそのどうしたらいいかの答えは以前のしゃおり先生となかまこさんのスペースでも学んだし、今回のセミナーでも勉強させていただきました!)

ただ、それについても今回のセミナーを通して物理的に・間接的にヒントを得ることが出来るようになってきました。

今の仕事では営業職としてお客様とのコミュニケーションに苦労しながら、なぜか出来るようになっていたことがあります。それはお客様のナラティブを意識して、なるべく想像して話せるように意識すること。

自分がいつ、なぜ、出来るようになっていたかは全くわかりませんでしたが、無意識下で昔のこのような経験が活きていたのかとふと感じ取れました。

そしてそうやって、自分の苦手意識を抱える中、それでもできる限りを尽くすように伝えることに尽力した結果、こんな私の話でも一生懸命に、もしくは優しくじっくりと聞いてくれる人が仲間にもお客様にもたくさんいらっしゃいました。

そうした人たちに、自分のできることを何か恩返ししたい!と感じていた結果、無意識にこのような力が身についていたのかもしれません。

そして、100%とまでは言えないけれど、ベースにこの意識がある上で相手に対峙しようとする自分のスタンスが育まれたんだと今では感じています。

いろんなお客様がいます。こちらから見れば商売に関してまだ伸び代はいっぱいあるように見えるけど、本人にとっては「家族もいて、仕事もそれなりに安定していて、自分の時間を取れることはとても幸福」と和やかにおっしゃられるのを見て私もまだ見えていない景色があるんだなと勉強になることがたくさんあります。

ただ私はそんなお客様に出会った時に、「まだもっと幸福になれるような余地はないのか?」をいつも想像してお話ししています。

「今もちろんお幸せですごく素敵なんですけど、ここをこうしたらもっと幸せになれる気がするんですがいかがですか?」

そうやって私が想像したお客様のワクワクする未来が、全部がお客様に届くわけではないのだけれど、刺さった瞬間というのはそのお客様との距離がグッと縮まる感覚を覚えます。

先日、上司から「この前言ってたお客様との話、どんな話したの?」と聞かれたので「十分満足はされてたんですけど、話聞いてたらこういう趣味ややりたいことあって、それを突き詰めるのは自分の幸せの増加に繋がりませんか?って話をしました!」

そんなことを伝えました。そしたら、

「春道はそういうことを聞いたり提示するのが本当に上手だなぁ」

と言ってもらえました。

今思えば、自分のやってることを得意だと思っていいと感じられた一つの原体験かもしれません。

自分の出来ること、得意とすること


今の自分には何もありません。技術も実績もないから、ホームページやアプリや動画を作ることもできません。

だから、とりあえずnoteで文章を書くことなら別に何の技術もいらないから(読んでもらうための技術や拡散の必要があることは後で知った)じゃあ100個とりあえず書こう、っていう風になりました。

嬉しかったことが2つ。

自分が100個やり終えたことで「触発されました!」と100個チャレンジに挑戦される方が増えたこと。(リップサービスもあるんだろうなと思いつつ…)
なんの自信も自己肯定感もない私でもそうやって誰かの力になれるんだということを逆に感じさせてもらえました。

もう一つは、自分はそうしたことが出来る人間であると認識できたこと。

得意とまでは言えないし、なにかとかけ合わせるイメージもまだ湧いていないけど、周りを豊かにするためのピースとしてこういうものがあるよ!と認識できたことは大きいです。

以前のなかまこさんのSNS運用セミナーでもお話が出てきた通り、オンラインでもオフラインでも人間同士のやりとりなのだから、今回の「得意なことは人とのつながりからしか得ることが出来ない」ということを知る上ではXなどは有用なプラットフォームであると感じ取れました。
リアルでの対面のほうがいい部分は大きそうだけど、それだけに固執する必要もないはず。

今回のセミナーを通して一番に感じたことは、誰かの幸せを願って動こうとする自分の気持ちは間違ってはいなかったと思えること。そしてそれがなにがしかの根幹になるであろうということ。

まだまだ弱い部分は大きいけど、その灯火が自分の中にあってよかった。その火を大きくできるように、全力前進の毎日を過ごすのみです。

最後になかまこさん、SUNABACOスタッフの皆様、今回もこのような有用なセミナーを開催していただき、本当にありがとうございました!!

〜最後までお読みいただき本当にありがとうございます!
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