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アウトプットするということ

noteやってる方って何かしらアウトプットしてるわけじゃないですか。
すごいですよね、自分の考えや感想、何かしらのまとめとか。
だって一度インプットしたものを人様に見せる形でアウトプットするわけです。
人間って食べたものを人様に見せる形にアウトプットできないようにできているので(土には還りますが)、知によるインプットからのアウトプットってそのまま他者がインプットできる形なのですごいスピードのリサイクルじゃないですか?
アウトプット即ちインプット…あ、他者がインプットするにはそのアウトプットを見つけなきゃいけないからそのラグがあるか。でも食べ物の循環に比べたらすごいスピードと拡散力です。すごいなぁ~。

でも、知のアウトプットってやろうと思わないとできないんですよね。しかもかなりのカロリーも必要です。いや~しんどい。
しかもアウトプットに感想(文句)をいただくこともあるわけです。思い込みとか、間違ってたりすることもありますね。
それでもアウトプットしなきゃいけないことってなんですかね。

結論…とは言い切れないけど、今回のゴールとしてひとつ挙げるとすれば、アウトプットってまず自分のため。
なので、極論自分がアウトプットしなくったって誰も困らないんです。
でもなんでするのかって、アウトプットすることでいままでのインプットを改めて正誤も噛み分けて整理して、自分でもう一回インプットしなおす儀式なんですよね。

うーん、今日はこんな感じかな。

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