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曼殊沙華、九月の物思い

今月半ばに隆盛を誇っていた曼殊沙華の花もすっかり枯れ、早くも彼らの足元には葉が姿をあらわし始めた。曼殊沙華は「葉見ず花見ず」という別名のとおり花と葉の時期がずれることから、花は葉を見ることがなく、葉は花を見ることがないと言われている。

褪せて干からびた花の残骸と、生まれたての瑞々しい緑との対比。最近はそんな光景が目に入って来る。

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九月。燃えるように赤い花を一斉に咲かせる曼殊沙華を見るたび、私は彼らがそこに存在していることを不思議に思っていた。

曼殊沙華は元々日本に自生していた在来種ではなく、中国大陸原産の史前帰化植物だ。中国の一般的な曼殊沙華が種をつける(二倍体)のに対し、日本の曼殊沙華は不稔性のためほとんど結実せず、種子ができても発芽しない(三倍体)。鱗茎の分裂によって繁殖するしか方法がないため、彼らが自然と広がっていくことは有り得ない。毒があるので、動物や鳥によって球根が離れた土地へ運ばれることもない。唯一、人間の手を借りることによってのみ、移動して増やすことが出来るのだ。

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そんな不利な条件にも関わらず、有史以前(縄文時代説と弥生時代説がある)に日本に持ち込まれて以来、曼殊沙華はずっと途切れることなく現代まで続いている。何という細い糸を繋いできたのだろう。長い歴史の中、どこで途切れてもおかしくなかっただろうに、今や当然のように彼方此方で見掛ける花の一つとなっている。この列島で暮らしてきた人々と共にあった曼殊沙華の歩みの果てしなさに思いを馳せる。

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有史以前に持ち込まれた植物でありながら、彼らが「万葉の花」ではないというのもまた不思議な気持ちを掻き立てられる要素だ。あれだけ存在感のある花なのに。

万葉集に詠われている「壹師(イチシ)」と呼ばれる植物が、曼殊沙華の事ではないかとの説があるが、壹師の正体については古くから諸説があり特定には至っていない。そしてもし壹師が曼殊沙華だとしても、たった一首のみである。

江戸時代に国学者・塙保己一が、幕府や諸大名・寺社・公家などの協力を得て古代から江戸時代初期までの史書や文学作品収集・編纂した『続群書類従』を参照すると、室町時代には曼殊沙華と呼ばれるようになっていたことが分かる。

室町時代初期の臨済宗の僧・心田清播による「心田詩藁」では、「曼殊沙花を奉じて定林和上に寄す」という題で始まる漢詩がある。

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同じく室町時代の臨済宗の僧・江西竜派による「木蛇詩(豩庵集)」では、
「人の曼殊沙華を恵まれしを謝す」と題する詩が詠まれている。

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『続群書類従』に収められたこれらを読むと、室町時代でも曼殊沙華はまだ希少な存在であったことをうかがい知ることが出来る。本当に随分と長い間、細々と命を繋いでいたのだなと改めて感心してしまう。曼殊沙華よりもっとずっと後からやってきた渡来植物(たとえば梅や菊など)はすでに広く愛されるようになっているというのに。

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慶長8年(1603)にイエズス会が刊行した『日葡辞書 (VOCABVLARIO DA LINGOA DE IAPOM)』には、曼殊沙華は「Manjuxaqe」として収められている。語釈には「秋に咲くある種の赤い花」とあり、はるか遠く欧州からやってきた宣教師たちも目にしていたであろうことがうかがえる。恐らく安土桃山時代には広く分布するようになっていたのだろう。

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曼殊沙華の球根は毒を持っているが、水にさらして毒を取り除けば食べることが出来る。そのため飢饉や天災など、いざという時の食糧にするために、村から村へと人の手によって伝わって植えられていったとされている。この過程が、天下統一へ向かう戦国の世と重なるのだとしたら興味深い。

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道を歩いていて、新しく造られたはずの場所でひょっこり曼殊沙華の花を見掛けることがある。それはもともと生えていた場所から、土と一緒に球根が運ばれてきたものと推測されている。この列島で生きた先人達がかつて耕した土、そこで彼らが植えた球根が、歴史の浅い土地に曼殊沙華の花を開かせるのだ。

今年も意外な場所で秋の風景を演出する曼殊沙華たちに出逢ってきた。彼らもまた、古い何処かの土地の歴史を残したまま、うっかり運び込まれたのだろう。

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そういった諸々のことが、道行く先々で出逢う曼殊沙華を見るたび、やけに思い起こされる九月だった。その九月も、もう過ぎゆこうとしている。

明日には十月が始まる。


※参照画像について、続群書類従は『続群書類従. 第12輯ノ上 文筆部』(続群書類従完成会,大正15年)を国立国会図書館デジタルコレクションの該当ページより、日葡辞書は『日葡辞書』(岩波書店,1960年)より使用させていただきました。

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岩波の日葡辞書は原本(Oxford大学Bodleian Library所蔵)を約3/5大に複製したものなので、ページ捲るたび興奮しっぱなし…邦訳版と照らし合わせながら眺めていたい……。

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