過去からのしがらみと脱却


皆様こんにちわ。
本日も私のnoteに目を通して頂きありがとうございます。
遅くなってしまいましたが、今回のnoteでは

児童虐待について

書いていこうかと思います。

12月に書いた小説で、ぼくという主人公の過去に少々虐待を母親から受けていたと言うような描写を描かせて頂きました。



彼に起きたこと、それは実際に私自身の体験談でもあります。
ですがこちらんも書いてある通り、現在の母との仲は良好ですし恨むと言った気持ちもございません。
そのことについて今回は書かせて頂きたいと思いますので、よろしかったら最後までお付き合いください。

・私の家庭環境
・父親について
・現在の家族状況
・最後に


・私の家庭環境

まず始めに、私の家庭環境についてお話しさせて頂きますと。
母は私のことを21歳の時に産み、最初は父親も一緒に暮らしていたようですが私の記憶にはほとんど残っていません。
気付けば母と2人暮らしでした。
外ではとても優しい母だったので、あまり家にいたくなかったのを今でも覚えています。
家では母の言葉遣いも態度も一変してしまう時が多々ありましたから。

「何でこんなこともできないの?」
「前に言ったことをもう忘れたの?」
「何回同じ間違いをすれば覚えるの?」

こんな風に何かしら自分が失敗をしたり間違えたりするとずっと責められていました。
そして、直らなかったら暴力を奮ってきたり外に放り出す。
そういったことも少なくなかったと思います。
まぁそのおかげもあり、痛みには大分耐性がついているというところではありがたいということもあるのですが。

幼い頃の私にとっては、母と2人で家にいる時間は恐怖でしかありませんでした。
怒られている時もただ「ごめんなさい」と言うだけでは決して許してくれませんでした。
母の期待通りの言葉を言わないと、怒りは収まらないままだったのです。
私は当時ずっと考えていました。

いつ母の機嫌を損ねてしまうのか。
どうしたら母は怒らないでいてくれるだろうか。
殴られたり蹴られたりしないために自分は何を言えばいいのか。


今思うと子どもながらによくまぁ考えていたなぁと思います。
そして「相手が何を望んでいて、どんな言葉を求めているのか」こういったことを考えることが今ではとても役に立っています。
幼い頃は嫌なことでしかなかったものが、大人になった今では役に立っているとは皮肉なものですね。

さて、何となく私が母からされてきたことは想像がついてきたかと思うのですが。

父親はどうしていたのか。

そのことについても触れていきたいと思います。


・父親について

父とは月に1回くらいペースで会っていました。
母と私と父の3人で会って、ご飯を食べる。
その時間が当時の私のとってはとても楽しみでした。
何故かというと、その時間は母がとても優しかったからです。
いつもよりも穏やかな口調でよく笑う母の姿が、例え食べようとしたものをつい落としてしまうことがあっても怒らないでいてくれる母の姿がそこにはありました。

そして小学校に入るくらいの頃に母に言いました。

「パパと一緒に暮らしたい」

言われた母は戸惑っていましたが、一緒に暮らす決断をしてくれました。
そして小学3年生の頃まで一緒の暮らしていました。

小学3年生になった頃、父親は多額の借金を負っていたそうで。
気付けば家に帰るペースも減ってきて、それから自宅に帰ってくることはありませんでした。

それからは母と二人、母子家庭の生活がまた始まりました。
勿論、二人の生活になってから母から暴力を振われる事もありました。
ですが小学生ともなれば多少の知恵もついてきてはいたので、昔ほどではありませんでしたが。
それでも今思うと、やはり母の二人で暮らしていた日々は何処か苦しい生活だったと思います。


・現在の家族状況

今は私は実家で相変わらず母と暮らしております。
私の仕事が不規則なので、家であまり母と普段会話を会話をすることはありません。
ですが週に1度は、母と話す時間を作るようにしています。

いろいろありましたが、母のことを恨むとか怖いとかは今はもう思っていません。
母から受けた暴力や暴言、全てを忘れることはできませんが。
その日々のおかげで私自身が気付けたこともあります。
そしてそれが、今の自分に繋がっているのだと思うと、無駄ではなかったのかなと。
そして何より思うことは

私を産んでくれて、社会人になるまで育ててくれたことには感謝をしたい

それだけは忘れてはいけないことかなと、私個人的には思っています。


・最後に

家族の形は人それぞれあります。
そしてそこには何が正しいかなんて考えても、第三者が答えられるようなことではありません。

これは自分自身が考えて決めていくことです。

私のように過去に暴力や暴言を吐かれても、今は何も思わないと言う方もいれば、親のことが許せないという方も離れたいから一人で暮らしていくという方もいます。
それもご自身で考えた結論なら、その答えを否定するつもりもありませんし「今まで我慢しながら頑張ってきたのだな」と思います。

ですが忘れないで欲しいのは

例えどんな境遇に陥ろうとも、貴方を産んだその瞬間には愛情があったこと。
そして今、自分が生きているのは誰かの助けや支えがあったということ。

そうでなければこれを読んでいる貴方はこの世にいいなかった可能性もありますから。
綺麗事のように感じられるかもしれませんが、あくまでも私個人の持論なので。
こう言う考え方もあるんだな〜くらいに読んで頂けると幸いです。


長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださった貴方、本当にありがとうございます。
それではまた、次のnoteでお会いしましょう。







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