ちょっとした映画感想文

突然、ですます調からである調で投稿してみる。口調は書く内容であったり、気分で変わるものだ。

 1月15日、出町座である映画を見てきた。というのも、小、中学時代の親友(女性である)から「1月15日に自分が主演を務めた映画が上映されるから、是非見てほしい」といったような案内があったからだ。
 親友のことを少し話すと、彼女は中学生の時吹奏楽部で私と同じ楽器を吹いていた同級生で、2.3年生の頃にはすでに役者になることを志していた。大学で専門的に俳優になるための知識や演技を学んでおり、私はこれまでにも何回か舞台公演を観に行ったことがあった。今回お誘いがあったのは、映画製作を行う学科の人と一緒に作ったという卒業制作の一夜限定上映だった。
 知っている人が主演を務めた映画に興味があったのはもちろんだが、私は出町座の一階のカフェで食事をしたことがあっただけで、まだ映画館で映画を観たことがなかった。これを期にミニシアターデビューしますか―そう思い、足を運んでみることにした。

 映画のタイトルは「静謐と夕暮」。上映時間136分。2時間オーバー。
上映後に監督とプロデューサー(監督とプロデューサーは同い年くらいに見える)と映画評論家のアフタートーク。この作品の指揮を執った監督やプロデューサーは「是非ツイッター等でハッシュタグをつけて感想を書いてほしい」と言っていたので、せっかくだし書いてみることにする。ただ、制作した人たちがこの記事を読んだとして、「言いたいことはそうじゃない」と思うかもしれないし、「なにかずれてるな」と思うかもしれない。ほかの人の感想を私も読んでみたが、同じような立派な感想を言える自信はない。


 まず、この映画を観終わって第一に思ったことは・・・「よく分からない」だった。
そう、よく分からなかったのである。クレームではない。すべてが分からない、というわけではないが、分からなかったのだ。
 主人公を務めた親友は作中、一言も喋らなかった。別に耳や言葉が不自由という役ではないはずなのに、毎日同じ服を着て、表情が抜けた顔で、光が入らない目をして。紙に向かって何かを書いていると思えば、自転車に乗って河川敷に行ってもなにもせず、夜になれば小さな酒場でお酒を提供しマッシュポテトを作る。動きもかったるくてなんとなく生きることにやる気を失っているようにも見える。
音楽もない。いや、あるっちゃあるのだが、シーンに合わせた音楽や感動をより効果的に演出するための音楽はなかった。あるのは自然の音、電車の音、自転車の音と紙にペンで書く音。
そして、映画じたいの詳しい情報や登場人物に関する詳しい情報もない。ホームページに載っていたのは主人公の名前がカゲ、第三者の視点に立つ写真屋、そして河川敷にいる老人。巷で上映される映画はだいたいホームページやフライヤー等に映画の説明や人物について何かしらの記載があったり、なくても作中で説明されたりするのだが、そういった情報はほとんどない。カゲは何者なのか、何を考えているのか。老人はホームレスなのかどうなのか。なにも分からない。
ストーリーも、起きて自転車で河川敷行って夜は酒場で帰って原稿に何かを書く、の繰り返しの中に幼少期を回想したり(エンドロール見るまで幼少期の回想だと気が付かなかった)隣人を尾行したり、そしたら突然隣人自殺するし。だいたい時系列のはずなのにばらばらのピースを見ているみたいで、やっぱり、話の内容はよく分からなかった。私自身たくさん映画を観るほうではないので映画の世界のコアな話とか知らないが、こんなないないづくしな映画は初めて観た。きっと、音楽をよく知らない人がいかにも芸術を追求しましたみたいな現代音楽を聴いて感想を言うのと感覚的には似ていると思う。

 結局、映画本編だけでは不明瞭な点が多すぎたが、アフタートークで監督が「この映画は自殺がベースにある」「主観的に撮りたかった」と話していて、なぜこのような撮り方がなされたのかはなんとなく伝わってきた気がする。
 カゲが何者かとか、人間らしさはどこに行ったとか、なぜ尾行するのかとか、隣人がどういう理由で命を捨てたのかとか、途中までずっと考えていたが今思うと、ああ、そういうのは必要ないんだと。大事なのはそこではなくて、それは風景のようなものにすぎないんだと思った。一見、作った側の独りよがりに見えるこの映画は、見ている側の人間に「なんで人は生きるの」と、静かに投げかけてきた。

 人間は生き物だから、生まれたら死ぬ。遅かれ早かれ、必ず死ぬ。
他の生き物は息して生きているだけでこの世にいる使命を果たしているように見えるのに、どうして人間だけは生きることに意味や目的を見出そうとするのか。「人はなぜ生きるのか」、自分に課せられたこの世での課題をクリアして幸せになるためだと私は思っていたが、本当にそれだけなんだろうか。

 映画の中の季節は夏、それも真夏ではなく終わり頃だったと思う。緑が生い茂って、一番「生」が輝く時、死に向かう中で一番きれいな時。この映画にぴったりの季節だと思った。きっと回数を観るたび見え方が変わる映画だろう。また機会があれば観てみたいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?