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(ライフ)「そぎ落としすぎ」はよくない。なぜならばそれが人間というものだから。

おはようございます!

休暇中は、Kindleに大量の雑誌をダウンロードとして読みます。MOREという雑誌を飛行機の中で読んでおり、ブレイディみかこさんのエッセイに、「そぎ落としすぎ、タイパやコスパの求め過ぎは良くない」と書かれていました。

おそらくMOREなので20代女性向けのコスパ・タイパ重視の方への警告的な意味でのメッセージなのかと思いますが、最近わたしも全く同じことを考えていたので、それについて書きたいと思います。



人間はそもそも効率的に生きられない


アート鑑賞をしていると、そもそもなぜ人間は絵を描いたり、装飾品を作ったりし、地域によって民族工芸品が存在したりするのか?と思うことがあります。

人間とは、生きて食べて寝て排泄して子孫を残して死ぬ、という以外に、アートという無駄であり、クリエイティブな活動を行う動物であり、それが人間を人間たらしめているものなのである。

というのが、さまざまなアートを鑑賞した個人的な、結論です。

理由は「進化のため」など様々に考えられるのかもしれませんが、とりあえず、他の動物と異なる点として、人間とは創造的であり、「そういうことをしてしまうもの」のようです。

演劇やバレエ、オペラなどを見ていても、アートというのはもともと「コスパが良くない」ものなのです。オペラなんか、下手したら3ー4時間、のんびり大声の歌を聞きますし、絵も、一枚を描くのに何年もかかる人もざらにいますし、音楽もクラシック音楽なんて、一曲ずつがとてつもなく長いですし。

ただ、JAZZなど即興であり、その場で感じる、起こっている感覚・その時間がとてつもなく新鮮で楽しい、だから「アート」がいつの時代も存在する。

日常生活においても、歴史から学ぶ人もいれば、自分の経験から学ぶ人もいる。少しずつ、リスクをとり、それでも、多くの失敗を繰り返す。そしてちょっとずつ賢くなる。

どんなに成功した起業家も必ず泥臭い「コスパ悪いフェーズ」が初期に必ず存在します。最初からコスパを追求したら成功もできません。

その「効率の悪さ」が人間という生き物であり、効率的に生きようとすればするほど苦しくなったり、楽しみや豊かさが減ったり、とにかく適度に「スラック(隙間・ひま・無駄)」とリスクテイク(新しいことへのチャレンジ)が必要なのだなーと思うのです。

ぼっーっと「さて、何をしようかな?」と思うくらいに、無駄な時間がなければチャレンジもリスクテイクもできません。

全員が全員、働きアリになることがないように、不労所得で生きる人もいれば、ニートの人もいれば、不登校の人もいる。アートの道を目指す人もいれば、私のように金に目がくらんで就職してしまうへなちょこのクリエイターもいる。

アートのような伝統的なものだけではなく、様々な領域に「無駄」や「コスパの悪いもの」があるからこそ、人間が人間たらしめている、人間が幸せに生きられる世界なのだ、と何かしらにつけて、しみじみと思うことがあるのです。

(死ぬほど働くワーママとしては、まずはとにかく島でぼーっと1か月くらい生活してみたいものですけど・・・)


コスパやタイパを追求して思ったこと


こちらの記事でも書きましたが、ワーママとして究極まで時間を効率化しようと思って数年間頑張りました。結果、多少楽にはなりましたが、達成感というよりは、虚無感(げっそり感)がありました。

結果的に毎日の0・2%の改善を行う余裕も少しずつ出てきましたが、結局のところ、現在はそうして効率化した結果、本を読んだり、絵を描いたり、芸術鑑賞したり、ネイルに行ったり、効率悪いことも積極的に取り入れています。

Noteも稼げるレベルではなく、コスパの悪い典型例です。それでもいいんです、発信していて、楽しいから。

効率化する先が自分の投資や豊かな生活に繋がっているのか、という「方向性」が大事なのであって、やたらすべてを効率化しても意味がないのだと思います。(例えば、私にとっては「無駄の塊」であるNetflixを2倍速で見るなど。)

コスパのよい食事を追求すると不健康になり、タイパを重視すると人間関係がうまく築けません。将来自分を豊かにしてくれるはずの趣味も、なかなか広がりません。

職場で一切無駄な話をしないと、機敏に対応できませんし、いい転職のチャンスも逃します。

生活の豊かさを追求し、キャリアアップを目指すなら、「スラック(余裕)」がある程度ないといけない、ということです。

コスパがいい、の本当の意味


もので言うなら、100均などコスパがいいということの多くは「安かろう悪かろう」。コスパがいいことで、それ以上の価値を出せるサービスは、あまり多くありません。(勝間さんなら、良コスパの例として、いつもの「サイゼリヤ」や「ゆで太郎」を挙げるかもしれません)

私は、少々分かりにくくても、広告費がかかっていない企業や、地元の産業(HPのつくりがだいたいはいまいちで微妙)で購入するようにしています。

身近なところで、最近私はメルカリを辞めました。費用対効果が見合わないトラブルに2度も巻き込まれたからです。中古品は人にあげたり、寄付することにしました。これも「安かろう悪かろう」。

仮に、本当に大事な決断をコスパでした場合、現代社会においては絶対に結婚はしない方が経済的にも自由度的にも「コスパがいい」ですし、子どもは、いない方が自由でいいに決まっています。

家もコスパ重視だとワンルームになり、車も持たないでしょう。ペットも絶対にコスパで考えたら飼わないはずです。

でも、ちきりんさんも以前本で言っていたように、「人は、本当に大事なことはコスパで決めない」というのが真実だと思います。

正社員が夜にコンビニでバイトしたらもっと稼げるけど、そんなことをする人はいません。健康やメンタルヘルスが犠牲になります。

家選びでも、配偶者選びでも、子どもを持つ選択でもすべて同じ。タイパやコスパを至上命題として実行し続けた若い世代の人が、結果どこに行きつくことになるのか。

とても興味深いのですが、一部の方はコスパやタイパの延長線上で、結婚や出産を選ばない決断をしはじめていると思います。その一方で、「実はそれって、違うんじゃない?」と思い、「質」を求め始めている層もいるように思っています。


ダイエットは「削ぎ落す」ことではない


ダイエットについても同じことが言えると思います。

BMI19以下になると、健康寿命も短くなります。研究上は「ちょっと見た目がぽっちゃり」くらいの方が長生きするらしいのです。

基本的に人は「モデル」に竹下通りでスカウトされたりしないので、モデル体型を目指す必要はありません。

私はBMI20近辺をうろついていますが、体重を気にするよりは食べているものの質だったり、睡眠だったり、ダイエットしよう!と思うこともありますが、いまはどちらかというと「減らす」のではなく「健康になる」ためのダイエットというイメージです。

食べる量を減らしたり、空腹になってから食べたり、玄米にしたり、お菓子を減らしたり、ここでも、ちょっとずつ0.2%の改善です。

ちょっと極端かもしれませんが、無駄を完璧にそぎ落とすと、どうなるのか?と考えると、極論ですが優性思想にたどり着く気がします。

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日本の若い世代と、ドイツの強制収容所と何も比べなくても良いと思いますが、極端すぎるコスパやタイパを求めることは、いつか、何かが極端に間違ってしまうこともあるのでは?と思います。

夕陽を美しいと感じたり、人間が生きる上で合理的ではなくても人に食べ物を与えたり、無駄かもしれない希望を持ったり、とにかくそんな、削ぎ落せない「人間を人間たらしめている本当に大事なこと」について学ぶには、良い本かもしれません。


本当に自分にとって大事なものをみつける。


結局、無駄について嫌悪せず、どんなにコスパやタイパが悪くても、ブロックする人の意見やYahooニュースの意見を無視し、自分の欲しいものを買い、好きなことをやっていく。

これが豊かな生活を送るための、効果的な結論だと思います。

本当に大事なものはコスパでは決めず、普段から、無駄を楽しむ余裕を持つ

キラキラのティファニーの宝石も「人気のある無駄」ですが、地域の民芸品などの「そこまで人気のない無駄」も積極的に楽しんでいく。

「人間はそんなもの」と思いながら、会社でぼーっとする時間を持つ。普段買わないものを手に取ってみたり、小さい挑戦に挑んでみる。

そんな無駄をどんどん楽しむようにしていきたいなー。という話でした。

ビジネス的には、クオリティのいいものはだいたいコストが高いですし、結果的にコスパもタイパも良くないものです。ちょうどよいバランスでビジネスをしていく、というのが落としどころなのかと思います。

少しでも生活の参考になれば幸いです。







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