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(ライフ)二拠点生活で学ぶ、ワイルドライフ

こんばんは!

週末二拠点生活を5年続けているという話は、以前こちらの記事で書きました。

今日は、二拠点生活で「家族のサバイバル力が上がった話」を書きたいと思います。



二拠点生活とは、「不自由さ」を学ぶこと


千葉で二拠点生活をしていると、田舎過ぎて一般的なインフラが弱いのでよく電気、水が止まります。

夕方に止まると、だいたい翌朝まで復旧を待ちます。

すると、電気が切れると蝋燭や懐中電灯の生活。

水が止まると、水を汲んできてポリタンクでトイレを流します。

貯水槽から直接水を汲んだりもします。

特にトイレが止まった場合、東京での日常生活がいかにありがたいかを、身に染みて感じます。

災害用トイレもありますが、基本的にはポリタンクの水で流すのですが、二拠点生活当初は、人生はじめての経験でした。


「不自由」を楽しむ


おそらく同じことがキャンプやグランピングブームにも言えると思います。

わざわざ、お金を払ってキャンプやグランピングなどに行くと、

「不自由」を楽しみに行っているのです。

もちろん、自然の中でリフレッシュする効果もありますが、

旅行やキャンプで一番感じるのは、「普段の生活がいかに恵まれているか」ということです。

トイレが外にあったり、虫に刺されたり、

水がすぐに無かったり、お湯は沸かさないといけなかったり。

不自由のなかにある「手間」や「満足感」が、実は昔の人類がやってきたことであり、時間をかけて工夫のし甲斐があること。

料理のために火を焚くのですら、炭を準備してかなりの手間がかかります。

決して、「快適」な生活ではないのですが、二拠点生活をすることで、我が家は自然と「サバイバル術」を毎週訓練しているような気がします。

快適な生活の中でぶーぶーと文句を言うサラリーマンが見逃しているのはこういった「サバイバル」の生活レベル感なのかもしれません。


避難訓練があまり意味ない理由


オフィスビルなどで行われる避難訓練は一部「やらされ感」があります。

実際の臨場感あふれる現場になれば、「ワー!キャー!」と叫びながら、必死に解決策を探すところですが、ゆるい雰囲気で行う避難訓練はあまり緊張感がありません。

水がなくて困る!食料がない!といった限界状態にならないと、人間は頑張って動きません。

そういった意味では、都会の呼べば来る電力会社の24時間サービス、

水が止まるなど災害以外ではほぼありえないしっかりしたインフラ。

ある程度の不便に出会うと、もろくなってしまうところを、日々のワイルドライフの修行ができていることで、非常時の備えになっている気がします。

やはり都会は「便利すぎる」のです。

災害時に思い出すことがあっても、日々の快適さに埋もれて、その感覚を忘れてしまいます。

災害時は本当に「助け合い」


日本は災害が多い国なので、ムラ社会になったのでは?と思っています。

結局、災害でみんなが困っているときは、村の中で連携しなければなりません。二拠点生活中においても、水が止まれば止まっていない隣人に蛇口を借ります。

電気が止まっていたら、止まっていない家にお邪魔します。

トイレも貸し借りして融通します。

結局、どこまで行っても一人では生きられない存在なのに、過度に遠い人間関係になっている都会。

特に以前住んでいたタワマンでは、苦情時以外の隣人関係はありませんでした。

災害時にいきなり他人と協力する!というのもかなり無理があると思います。

災害時の一番の対策は、乾パンを買い込むことでも発電機を備えることでもなく、良好な隣人関係を築くこと

そんなあたりまえで都会では難しいことを、二拠点生活で学んだ、という話です。


結論


不自由な生活をすると、家族のサバイバルスキルがあがる!という話でした。

我が家では、二拠点生活でたまに不便を経験しているため、点検などで半日断水でも、子どもたちも慣れてすぐに対応できます。

むしろ大人よりも対応が柔軟なので感心します(トイレを断水終了まで我慢してみる競争やっていたりします)

  • 一番の災害対策は、隣人と仲良くして災害時に助け合うこと

  • たまに不自由を体験すると、日常に感謝できる

  • たまにあえて不自由を経験しておくと、多少の不便は気にしなくなる


特にこれから都会においては、この「サバイバル力」が問われてくる気がしています。

二拠点生活ではなくても、キャンプなどでも体験できます。

参考になれば幸いです。


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