結婚観は人それぞれでいいじゃないか
吾輩は独身である。バツはまだ無い。どこで道を間違えたかとんと見当がつかぬ・・・こともない。
結婚についての記事は、過去にいくつか書いてきた。
独身は独身なりにいろいろと考えているのだ、と。
近年では、初音ミクと結婚した人が話題となるなど、結婚観は多様になってきている。
人によっては、法の壁や現実的な課題があり、したくてもできない、したくないのにしなければならない、みたいなことも多いのだろう。
結婚するもよし、しないもよし。
誰と結婚するかは当人同士の自由。
少なくとも僕はそう思う。
結婚だけならまだしも、後々「子どもを産むのか産まないのか」という話にもなってくる。
こちらも、望む望まないは個人の自由だろうと思っている。
しかし、同性婚をめぐる裁判や、知的障がい者同士の結婚とそれに付随する出産及び子育てなど、現状では本人たちの意思だけではままならないこともある。
同性婚を認める法令はいつまで経ってもできないし、知的障がい者が子育てをすることが不安だという声も少なくないだろう。
結婚とは、とかく難しい制度である。
僕は経験がないので感覚的にわからないのだが、「結婚する」ということはどういう心情なのだろう。
やはり恋人とは違うのだろうか。相手方の家族とも付き合っていく必要があるもんなぁ。
同棲と別居でまた違うのだろうか。同棲することで見えてくる相手の素性もあるだろう。
別居を選択する人たちもいる中で、別居=不仲というわけではないこともわかる。
契約結婚というパターンもあるか。テレビドラマか何かで観たように、お互いの愛情云々ではなく、別の目的のために結婚すること。これも、当人たちがOKなら何も問題はないと思う。
思うに、結婚とは“幸せになるための手段の一つ”ではないだろうか。
「この人と一緒にいたいと思ったから」
「この人なら安心して生きていけると思ったから」
「この人は自分のステータスに見合っていると思ったから」
理由は純も不純も千差万別だろうが、少なくともネガティブな理由で結婚する(したがる)人はいないはずだ。
幸せの定義は人によりけり。ならば、結婚観も各々違っていて当然である。
ひと昔前と比べたら自由度はいくらか上がったのかもしれないが、もっと個人の思想が尊重される世の中になってほしいなと思う。
そして願わくば、綺麗で優しくて頼もしくて仕事ができて人柄も頭もいい北川景子似の看護師さんが僕のパートナーにならんことを。もちろん、お互いに愛している前提で。
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