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ダンスが彩る人生

2月になると、よくダンスの練習をしていた。

個人的な趣味の話ではない。

公務員時代に住んでいた町で、3月上旬に開催される地域の行事があった(たぶん今もあると思う)。

その行事の主催者から「役場の若い人たちで出し物をやってほしい」とのオファーがあり、1か月ほど練習に勤しんでいたのだ。


ダンスは大学から始めた。

おかげで、履歴書の特技欄に「ダンス」と書けるようになった。

といっても、僕のレベルは素人に毛が生えた程度なので、少し本格的な宴会芸と考えて差し支えない。

実際、飲み会の二次会(カラオケのあるスナックが多かった)では、当然のように僕のダンスレパートリー曲が流れた。

ゴールデンボンバーの『女々しくて』なんて、何十回踊ったことか。

それでも、「ダンスの経験がある」というだけで、周囲は僕を凄腕パフォーマーのように扱うもんだから、まんざらでもなかったのもまた事実だった。


行事のオファーに話を戻すと、最初の年は僕を含め9人のメンバーがいた。

ただ、他のメンバーは学校祭で踊ったくらいの経験値。

必然的に僕がリーダーとなり、8人に振り付けを教えるという形になった。


ここからが大変。

僕が振り付けや構成などを早いところ決めてしまわないと、練習がまったく進まなくなるからだ。

全体練習は毎週火曜日の夜にして、それまでは各自で練習することに決めた。

僕に関しては、自分の振り付けを完璧にすることは大前提。

プラスアルファで先の振り付けを覚えたり、配置を決めたりしなくてはいけなかった。

公務や他の用事がある中でダンスに時間を割くのは、容易なことではない。

時には昼休みを削って、一人で自宅の姿見の前で振り付けを覚えることもあった。

僕はとにかく一生懸命ダンスの準備をした。


しかし、全員が全員とも僕と同じモチベーションでやっているわけではない。

人前で踊るのが苦手な人もいれば、先輩命令で仕方なく参加している人もいる。

温度差が原因でメンバーと衝突したことも少なくない。

まったく練習せずヘラヘラしている奴には、けっこう本気でキレたこともあった(後日、先輩に「ケンカしてまでやらなくていいんだぞ」となだめられた)。

少し熱くなりすぎていたのだと思う。


このようになんやかんやありながらも、当日は成功裏に終わった。

主催者も大喜びで、「来年も頼むね」と出演の確約をいただいた。


翌年以降も、同じような形で2月を過ごす。

しかし、年が経つにつれ、参加者が集まらないという問題も増えていった。

少ないときは、たった3人で踊ることもあった。

このとき協力してくれた後輩2人には感謝しかない。


毎年やってきているおかげで、レパートリーを増やさないといけないのもけっこう大変だった。

以下、踊った曲たち。

  • AKB48(ヘビーローテーション/フライングゲット/Everyday、カチューシャ)

  • 嵐(A・RA・SHI/Love so sweet/Monster/ワイルドアットハート/Turning Up(※))

  • ピンクレディー(UFO)

  • 氣志團(One Night Carnival)(※)

  • モーニング娘。(恋愛レボリューション21)

  • 三代目JSB(R.Y.U.S.E.I.)

  • Michael Jackson(Thriller/Smooth Criminal/Beat It)

  • 荻野目洋子(ダンシング・ヒーロー)

  • トラジ・ハイジ(ファンタスティポ)

  • DA PUMP(U.S.A.)

※『Turning Up』は、コロナ禍により中止となったため未披露。
※『One Night Carnival』は、女性メンバーのみで披露。

おお、改めて見るとけっこう多いな。

女装することになった年は、メンバーや協力者に女性ものの服を借りたり、メイクをしてもらったりした。

「地球の男にあきたところよ アー」の瞬間のアルロンさん(24)


振り返ってみると、かなり大変だったしイライラすることもあったけれど、やってきてよかったと思う。

地域のマダムたちに「ダンスかっこよかったよ~!」と声をかけられることが増え、顔と名前を覚えてもらうきっかけになったから。

他に取り柄のなかった自分が、直接的に地域へ貢献できたから。

そして何より、やってて楽しかったから。

「芸は身を助く」とは少し違うが、ダンスは間違いなく僕の人生に欠かせないものだ。


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