Ryoma Kawaguchi

Twitterでは書くことのできない、写真とは離れた気難しい事や日常的な事を記録として…

Ryoma Kawaguchi

Twitterでは書くことのできない、写真とは離れた気難しい事や日常的な事を記録として残しています。雑記が中心。珈琲を飲みながら気難しい事を考える時間が好き。あと、サウナが好き。Twitter/Instagram @rkwgc

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最近の記事

20190804

 人の精神を焼き殺すように都会の夏という季節は暑く、苦しい。夏の風物詩の一つとして縁日や花火といったものがあるが、私は冷房の効いた喫茶店で無心で文章を読んだり、書いたりする方が良い。本の中で季節を知ると、どうも自分にはその情景を再現したくなるような感覚に陥るが、夏だけは別物だ。日光が身体を焼き、火照る身体が精神を殺す。その過程は実に一瞬で、私は酷く嫌っている。だが、夏になると途端にアイスコーヒーが美味くなる。恐らく夏を生きていく為の術として、与えてくれたのだろう。  昨日と

    • 完全にサウナに支配されている

      サウナバカになりつつある疲れたらサウナ。仕事で気が荒んでいる時はサウナ。考え事がある時はサウナ。大体休日か夕方くらいになるとサウナを考え始める。仕事で出先なら「今日の仕事頑張って早く終わらせてサウナに行こう」とか、「一回サウナ入って考え直そう」とか。営業職を良い感じに回していきたい。サウナーだから。サウナで日常を回していく所存である。 サウナ歴が2年くらいになるのではないかとぼんやり気が付きはじめる。初めて入った記憶は明確なものではないが(それほど当初はサウナに対して魅力

      • 私的サ活の美学

        はじめに週末サウナ。私は週に一度のサウナがとても楽しみである。 緊急事態宣言が解除され、自粛の緩和。まだ予断を許さない状況ではあるが、各サウナ施設は様々な取り組みを行って営業している。 池袋にあるサウナ・スパ「かるまる」では以下の様な表明をしている。あくまでも「施設としての対策はしているが、対策は万全ではない」という事は留意したい。 かるまる サウナ室の換気機能は伊達じゃない! 今伝えたい「サウナ室の好都合な真実」 サウナの何が良いのか地域性のある銭湯に備え付けられた

        • 歩いた方が良い

          今日はふと思い立って地元から隣駅まで散歩。 歩いていれば何かしら写真は撮れるだろうと思い(田舎道しかない所に住んでいる事は恐らく既知の通りと思いますが)、カメラと1000円札一枚だけを持って外出。 自粛期間が明けようとしている手前、そもそもこの二ヶ月間は何だったのかと振り返りながら歩いていた。 個人としては在宅という制限空間の中に落ち着いた自分がいる。 意外にも不要不急である行動が多い事に気が付いて(金銭,衝動的な)、自然に自制された、というか収まりが良くなった気がする。 反

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        • サウナ紀行
          1本
        • mishima
          2本

        記事

          二面の「私」

          noteは実名を持って書いている。以前(というより並列しているが)はてなブログに思考整理と称して汎ゆる事物や本や芸術に関して自身の捻くれを利かせて文字書きをしてきた。 匿名ブログであるはてなブログで書いていた最大の理由。それはテーマという思考を緊縛する世界線で文字を書く事は「誰かに理解される事が全ではなく、そこに充足感を得たいと思っていない私」にとって最悪の精神の居場所であったからであり、はてなブログという「疑似自由空間」に身を置くことで私の、私自身でもよく解っていない「思

          二面の「私」

          「故郷」の再構築 -在宅期間を通じて-

          . 地元の人ならご存知の通り私の住む街はあまりにも都会とはかけ離れた、高校生に入ってからは揶揄される程の田舎町なのですが、写真を撮る様になってから都会とは異なる空間を見せてくれて改めてこの街に生まれて良かったなと思う様になってきた。 世間一般に「散歩」の価値が見出されている今、完全に田舎町で育ってきた本来の生命力が活かされている気がする。東京で写真を撮る事が「全」の様に感じてやってきたけれど、一度この機会に立ち止まってみても良いのかもしれない。 生まれた地とはどういう性質

          「故郷」の再構築 -在宅期間を通じて-

          わたしの中の「花」と「生」

          とある写真集を見て、改めてこの頃の私自身における 「花」と「生」について。 花を問わずして凡ゆる事物に言える事と思うが、 対象の事物に対してどの様なイメージを抱くのかは 受容体である人間に対する衝撃だけだと思っている。 それが偶然、私にとって花という事物は これまで何とも思わなかった対象であったが故に、 死者への手向けというインパクトに全てを拐われた。 今の私は原体験から想起される事物に対して かつての想いを馳せる様にして写真を撮りたいだけで。 だから今、私は「花」とい

          わたしの中の「花」と「生」

          なんだか新年

          2020/01/05 何だか、新年。そういった気持ちで今年を迎えちゃいました。昨年の私は何だか他人に余裕無しの私であり、ご迷惑を多々おかけしました。今年の私は「ワタシ」を演じて生きていこうと思います。目標はインターネットでは語りません。頑張るぞ。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。 ブログを書くのは久々でして、何を書こうかと思いましたが、まあ新年悩み狂っても仕方がないことなので「雑多」という言葉を頼って適当に書いていこうと思います。 雑多に思考整理 昨年は急がされて

          なんだか新年

          在宅ライフハックが溜まっていく

          昨日から過去に投稿していた記事を某ブログから転載しているのですが、なるべく日常的な事も書いていけたら良いなと思っている。なるべくラフに、そして外界と繋がれる様に。中々長続きしない性分だが、ブログを書くのはかなり長い間やってきた(黒歴史もありますが)ので、よろしくお願い致します。さて、それでは本日の雑記。 在宅期間が始まって私は早くも二週間が経過した。時間の経過と自身の精神衛生的な面を見ていると、そこまで苦ではない自分がいる。ただ、在宅勤務中、足腰が痛くなってくるので昼下がり

          在宅ライフハックが溜まっていく

          不健康万歳

          ブログの最重要性・日常を攫むこと 思考整理という点でブログを書くことは非常に大切であると言える。例えば日常の中で起こる事象の数々、それらを記憶として瞬時に捕えていく。捕えていく、これには何だか一点一点を大切に見つめているといった意味合いを覚える。写真においてもそのようなことは同様に言える。写真は日常的に起こる「事象」を狙うことも一つの使命であると考え、写真を常に撮るという意識の中で自我を存命していかなければ一瞬にして死の淵にさらされる。決してこれは「珍しい事物」を撮ると

          不健康万歳

          経過

          2020/03/21 先週、酒を交えながら親友に言われた「僕はずっと小中高と友達を大切にしてこなかったから」という言葉に引きずられている。私自身がその「大切にされるべき存在」であるかはさておき、他人に私が「価値」として存在している事は私自身の精神を大きく揺らがす結果になった。  今週もその親友と酒を交えた。何を話しても彼なりの言葉が返ってくる。彼は聡明であり、社交的な性格で、私とは対称的な存在である。対称的な存在とは、日々生きていく中で関わりを持つ事は私の中で難しく、

          自室独房生活十一日目を終えて

          四月に入り、生活ががらりと変わった。 新型コロナウイルスの影響もあって、仕事は四月に入ってからずっと在宅勤務だ。これまでずっと在宅勤務が可能か不可能かは、空論のままであった。しかし状況が状況だからか急速に社内の改変は進み、無事に在宅勤務制度が整った。まだ上層では古臭い社風を漂わす様な気配も伺えるが、現に東京に出向かなくても良いというだけで安堵している。私は実家で暮らしているし、東京から帰ってくる私が感染源となってはいけない。私自身が感染するということよりも、潜伏期間が長いと

          自室独房生活十一日目を終えて

          三島由紀夫の本質を理解しようとする私にー「没後五〇年という歳月」

          2020/01/26 二〇二〇年。早速一月が終わろうとしている。年末年始に疲弊した精神、身体を伸び伸びとさせた私は、それまでの生活を取り戻す事に懸命になり、またしても「世間、どうでもいい」というセンチメンタルな感情に殺されている。自閉的な時間を休日に与えると、どうしてもそこから輝かしい時間を得ようとする気は無くなっていく。それはさておき、こんな映画が上映される事を知る。 今年は日頃から愛読している三島由紀夫の没五〇年となる。何やら世間も、それを機としているらしく、三月には

          三島由紀夫の本質を理解しようとする私にー「没後五〇年という歳月」

          深酒幸福論

          2018/12/16  12月も半ばに入り、クリスマスや新年を迎えるような余裕もなく日々が過ぎていく。どうやら周囲も同じような状況らしい。皆口々に「それっぽさがない」なんて言う。 卒業論文の提出時期が10日を切ったので、それなりに加筆修正を進めているわけだけど、なんだか思うように進まない。しかしこれまでの学生生活、レポートを8割程度の完成度でいつも終えていた。卒業論文くらいはちゃんと自己満足でも構わないので終わらせて、これからの人生に「大学生活における後悔」を少しでも少な

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          舞台「豊饒の海」を観て・三島由紀夫という存在について

           2018/11/30 ご無沙汰。やっぱりiPhoneから投稿するよりも、キーボードを打ってかたかたと投稿していく方が良い。単純に文字入力の早さが後者のが早いだけなのだが。まあ場面場面ということで。  さて、今日の本題に入りたい。先日は椎名林檎のライブに行ったわけだが、その二日後に舞台「豊饒の海」を新宿 紀伊国屋サザンシアターにて鑑賞してきた。三島由紀夫の作品ともあって、中々原作を読んでいた私からしても、感想や思考を文章にするのは難しい。鑑賞から少しばかり時間が経ってし

          舞台「豊饒の海」を観て・三島由紀夫という存在について