ジョジョリオン完結

ジョジョの奇妙な冒険は、5部ラストの奇妙な(本当に奇妙な)エピローグから、「厄災(運命・不運と言い換えてもいい)」を見せたり操ったりするスタンドが出てくるようになった。

それは荒木先生のある種の挑戦だったと思う。今までは敵側が主にこの厄災の被害を受けて来た。そしてそれは味方サイドからすれば「運命」だ。

1部のディオは偶然女神像に突き刺さって大火傷を負い、2部のカーズは偶然飛んできて刺さったジョセフの腕に気を取られて宇宙へ投げ出され、3部のDIOは偶然承太郎の能力が同じタイプだったために敗れ、4部の吉良は偶然救急車の下敷きになって死んだ。少年漫画のご都合主義だが、敵からすれば厄災以外の何者でもない。

つまり運命と厄災は裏表なのだ。

5部エピローグに登場するローリングストーンという安楽死の運命を、ミスタ達は眠れる奴隷として撃退した。それがジョルノのハッピーエンドに繋がっている。失う仲間は増えたが、厄災に勝ったのだ。

6部ではドラゴンズドリームとメイドインヘブンが厄災系に近いが、よりテーマを深掘りしているのはやはり神父のメイドインヘブンであろう。神父は自分の出生、妹と(実の兄妹である)ウェザーの恋、そして妹の自殺という厄災に直面し、絶望した。そして厄災そのものから逃れる事は出来ないとし、人類を厄災から救うにはそれが起こる事を全人類が予知し、覚悟出来るという世界への書き換えを選んだ。それに対してエンポリオは正義の道を歩む事こそが運命という、ある種反論になっていない否定しか出来なかった。

7部では大統領が聖なる遺体の力を使い、アメリカ以外の所に厄災を飛ばすD4Cラブトレインを完成させた。しかしこれも厄災そのものを無くしている訳では無く、他に肩代わりさせているだけだ。ジョニィはタスクAct4で大統領を倒すが、大統領の理屈「アメリカの繁栄のためのみにこの遺体を使う」ことには反論出来なかった。そして8部で家族を襲った呪い(厄災)を祓うために遺体を使おうとして命を落とした。

最後に8部である。作者のコメントを見て驚いた。厄災は強過ぎて、乗り越えてはいけないものだったのではないかと書かれている。作者すらもこの厄災というテーマについてはどうしようも無いと書いてしまった。

愛も正義も人間讃歌も厄災には勝てない。

ジョジョリオンは一応物語としては終わった。主人公がラスボスを倒すという体裁もとった。しかし最後のページのお通夜のような雰囲気が全てを表しているようにしか思えない。東方家は定助を家族として受け入れた。呪いも解けた。しかし定助や東方家が幸せになる未来はあの絵からは見えないのだ。エヴァンゲリオン(福音)からとった「リオン」というタイトルからすれば皮肉な事だが…

ある意味これは現実そのものだ。どんなに善人だろうが、正義の人であろうが、世界を救おうが、不運には勝てない。

ただ次のジョジョがあるとしたら、自分は厄災を克服する希望のある物語を望む。定助のS&Wゴービヨンドのような理屈になっていないような能力で無く、厄災だらけの世の中でヒトが幸せに生きるための希望の物語を描いて欲しい。

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