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【全文無料】承認欲求と無価値感と自己充足~自分を「観察する」ことの大切さについて~

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メンタル不安定な人の特徴は「承認欲求」が強いことです。

「褒めて欲しい」「察して欲しい」「分かって欲しい」という欲求が強すぎると他者が認めてくれるか否かでメンタルが振り回され不安定化するから。
幼少期に褒めてもらえないと承認欲求が強くなりすぎる。

自分のご機嫌は自分でとるのも大切です。


【ここまで】



ーーメンタル不安定な人の特徴は「承認欲求」が強いことです。ーー


「承認欲求が強い状態」というのはどういうことかと言いますと、
「他人に認められれば自分には価値がある」「他人に認められなければ自分にはかちがない」と思い込んでしまっている状態ということになります。

いわゆる「自己肯定感が低い状態」と同じことでして、「褒められれば有頂天」「褒められなければ『自分なんてどうせ、、』となってしまっている感じですね。

もちろんツイートにも書いたように「メンタルが不安定になりがち」だとも言えるでしょう。自分のご機嫌や気分を相手に委ねてしまっていてはなかなかメンタルは安定しません。

もちろん完全に人の評価を無視したり気にしたくしたりすることは社会で生きてる以上不可能ではあるのですが、その程度があまりに過剰だと(=承認欲求が強いと)振り回され心の疲弊に繋がります。

「こう思われたい」「こう言われたい」「こう見られたい」という承認欲求は適度なら頑張りに繋がったり言動力になるのですが、過度だと精神的にネガティブな影響が大きいんですね。




ーー「褒めて欲しい」「察して欲しい」「分かって欲しい」という欲求が強すぎると他者が認めてくれるか否かでメンタルが振り回され不安定化するから。幼少期に褒めてもらえないと承認欲求が強くなりすぎる。ーー



承認欲求には幼少期の影響もかなり大きいものです。

家庭環境などで教育ママ、教育パパで厳しく子を育てる方針の家庭ですと「褒めれば褒めるほど子どもは頑張らなくなる」「叩きあげてやるのが大事」「どんどん親が子のやることを矯正してあげなくてはならない」という価値観から、子を褒めない、認めないということも多いと思います。

子どもとしては誰もが両親のことを大好きですし、愛してますし、認められたいと思ってますし、褒められたいと思っているものですよね。

そうなるとうちにある承認欲求はどんどん肥大化していきます。「こうしたら褒めてくれるのではないか」「ああしたら認めてもらえるのではないか」と「両親から褒めてもらえるような理想の姿を思い描き、そこにどんどん近づいていこうとします。

繰り返しますがそういった「何者かになりたい気持ち」は適度であれば生きる原動力としてポジティブな影響をもたらしますし、スキルアップという点でもどんどん力を伸ばしていくことにも繋がるのですが、その承認欲求が過度ですと「どんなにすごい人になっても自分をすごいと思えない」という欠乏感に繋がりますし、「褒めてもらえなければ自分には何の価値もないんだ」という強固な自己否定につながりますし、「相手に自分を見てもらえないということは自分に存在意義がないんだ」という無価値感にも繋がってくるでしょう。

「成長したい」「もっと輝いていきたい」というポジティブな影響と、「何者かにならねば価値がない」「こうならなきゃ自分には価値がない」という自己否定という意味でのネガティブな影響…
このそれぞれを及ぼすのが承認欲求というものでして、「適度な承認欲求の度合い」というのは何とも微妙なものです。

とにもかくにも、承認欲求の形成には幼少期の親子関係の影響が大きいというのは言えるでしょう。



ーー自分のご機嫌は自分でとるのも大切です。ーー



ここで重要なのが「自己充足」という考え方になってきます。「自己充足」があれば承認欲求があってもそれは毒にはなりません。

承認欲求がどういったシチュエーションで働けば毒なのかと言えば、自己充足ができてない状態、つまり「自己欠乏」の状態で承認欲求が強くなると毒なんですね。

つまり、「現状の自分には価値がない」「今の自分には魅力がない」「そのままの自分では誰も愛してくれない」「私には欠けてるものが多すぎる」という欠乏、無価値感が強すぎる状態で承認欲求が強くなると、
「褒められれば私には価値があり、褒められなければ私には価値が無い」「認められれば私は存在意義があり、認められなければ私には存在意義がない」「可愛いと言われれば人権があり、ブスだと思われたら生きてる意味ない」みたいにメンタルを振り回されてしまうことになるんです。

逆に充足している状態での承認欲求であれば比較的健全でして、「私は今のままでも大丈夫だけど社会的に認められればもっと素晴らしい人になれる」「私は今のままでも十分素晴らしいけど、彼に可愛いと思われればもっと幸せ」「私は今のままでも魅力的だけど、周りの評価だって欲しい」という欲求でしたら例え「周りの評価」を得られなくても少なくとも絶望はしないわけですし、自分の価値を信じられてるわけですし、自己肯定できてるわけですし、「周りが認めてくれないなら認めてくれないでまぁいいか」と思えるわけなんですね。

ベースに自己肯定があるかないかでメンタルにここまで差がでてくるんです。

自己肯定感を上げる、欠乏を癒やすなどのワークは是非過去記事を漁ってみたりしていただきたいのですが、まず大切なのは「自分」に意識を向ける習慣をつけていくことなのかなと思います。

今の時代、私たちの脳はちょっと忙しすぎます。ちょっとスマホに目をやればピコンと通知がきますし、勝手に手が伸びてTwitterを開いちゃいますし、Twitter広告で流れてきた漫画なんか見始めちゃいますし、気づけば「あ、今日はあの配信者さんのライブだった」みたいにインスタライブ見に行きますし、ご飯食べながらYouTubeみちゃいますし、寝る前まで情報の大洪水で自分に意識をやる瞬間なんて日常であんまりないと思うんです。

だから、「自分が今満たされてるのか満たされてないのか」「充足されてるのかされてないのか」「自己肯定できてるのかできてないのか」「欠乏感があるのかないのか」「承認欲求が強いのか弱いのか」なんてこともいちいち意識しないですし、できてないと思います。

勝手に情報の流れに飲み込まれて、いわゆる「マインド・ハック」みたいな状況になってしまってると思うんですね。

仙人みたいに暮らせとかスマホを捨てろとかは言わないので、一日に5分でも10分でも、自分なりに自分と向き合う時間をとるのは良いことかもしれません。

方法はノートとペンでも、ヨガでも、瞑想でもなんでもいいのですが、情報の波をシャットアウトしてその時は自分とだけ対話できるのが理想だと思います。

自分が何を考えてるのか、自分が何を感じてるのか、自分が何を思ってるのかを丹念に観察していくんですね。そのときはスマホは機内モードとかにしておくのが良いでしょう。どうしても気になっちゃうのであれば隣室とか、バッグの中とか、目に見えないところに置いちゃうのも手です。

自分がどう思ってるのか、自分がどう感じてるのか、そんな「自分観察」の時間が増えれば増えるほど自分の状態を客観的に観察できるようになり、自分が承認欲求や欠乏の波にのまれそうな時に「対策」を考えることができるようになります。

現代の人はあまりに忙しすぎて、「自分のメンタルが振り回されてる」ということにすら気づけていないのです。



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