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「どんな親でも子を愛してる」について考えてみる

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「どんな親でも子を愛しているもの」ということをよく書いています。

たとえ子から見て「毒親」と呼ばれるような親であっても、その行動や言動の背景には子への想いがあり、子への愛がある。


例えば、「毒親」の事例でよくあげている「過干渉な親」などは典型だと思います。

子からしたら煩わしくて仕方ない、子からしたら邪魔なようにも感じる、子からしたらすべてを否定されているように感じる、それが過干渉な親であり、そこに愛を感じることは(子が一定の成長をするまで)なかなか難しいでしょう。

ですが過干渉する親の心理的背景は、親自身も無自覚かもしれませんが、「この子に立派になって欲しい」「一人前の社会人になってほしい」「苦労なんかしてほしくない」「どうしても子を我がことのように感じてしまう」というものであり、そこには言うまでもなく愛があるわけです。

確かに、過干渉の結果、子の心理やメンタルにとって悪影響を及ぼすことは多いわけですが、結果の面はおいておき「経過」にフォーカスを当てるのであれば子を憎んでるから過干渉するというわけではないでしょう。



「どんな親でも子を愛してる」

私がそのように言う背景には3つの理由があります。



ひとつめは、「実態ベース」のものです。

稀な例外はあれど、基本的には子は、特に先進資本主義国においてはなおさら、完全に自立するまで親元で育てられます。

その年月たるや、母親がその子を妊娠してから、多くは子が新社会人になるまでの20年以上にも及びます。

親は20年以上(あるいは20年近く)もの長い長い年月と莫大な経済的、精神的、肉体的リソースを、一般的な場合、惜しみなく子どもに注ぎ込み続けます。

これは、世間でカップル同士がイチャイチャ囁きあってるあまりに陳腐であまりに脆い「愛してる」という言葉の何千倍もの深い愛がないと不可能なことでしょう。

私はオタ気質で理屈をごちゃごちゃ並べるのが好きなので以下もごちゃごちゃ色々と書いていきますが結局は、
「寝返りもできない状態から一人で立派に社会で働くまで子を育て上げること。」
親から子への愛を証明するには、もはやこれだけでも十分なのではないでしょうか。



ふたつめは、いくぶん規模や一般性が小さくなることはお断りしておきますが、「私の経験ベース」の理由です。

私自身がこうしてひとつの社会の歯車としての活動ができていること、このように物を書き誰かのための何らかのお役に立てていることは、紛れもなく両親のおかげと言っていいでしょう。

あるいは、私のクライアントさんや読者の方も、「親を恨んでる自分」「親に人生ぶち壊されたと憎んでる自分」「親を許せなかった自分」から、「親からの究極の愛を受け取れるようになった自分」へと変化を遂げてきました。

「両親は私のことを愛してくれていたのですね」

涙ながらに語るクライアントさんたちの言葉は、ひとつめの「実態ベースの理由」より遥かに強く私の心を揺さぶるものであり、インパクトあるものです。

私自身の経験、そしてクライアントさんたちの経験は、少なくとも私にとっては、何よりも強く「親の愛」を証明するものであります。



最後に3つめ。それは…

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