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虚構 その2

1DKの部屋でベッドとテレビの間に置いてある小さな折りたたみ式の白いテーブル。
その上に朝から置いたままにしている節約のために久しぶりに買った印象派の画家のファミリーネームと同じ名前のアイシャドウとともに、いつもわたしは疲れ切っている。

もう4日も溜めている洗濯物は、100均で買った麻のカゴの中で耐えきれずに溢れかえったままだ。

小学生の頃はまだハッキリと自覚していなかったけれど、中学生になって他クラスの陽菜とサッカー部の多田先輩が一緒に繁華街にあるカラオケに入るところを同じクラスでグループだった美沙が見たという噂話をネタにして4階の理科室につづく渡り廊下で周りの子たちと一緒になって大きな声で話し続けていたその時から、そういう馬鹿馬鹿しさに疲れている自分を知った。

同じ地域で寄せ集められ鬱屈した人間が詰め込まれた"公立中学"での居場所のなさは、わたしの人生の中で一時的なものであると何となくは理解できても、その息苦しさから自分を解放する術をはじめは見つけられずにいた。
夏休みが過ぎた頃から周りの子たちと遊んだ後、小さい頃たまに母親に連れていってもらっていた今はもう跡形もない地元の街角にあったレンタルビデオ屋へと足繁く通いはじめ、棚に並んでいるヨーロッパの古い映画などのDVDのジャケ裏に書いているあらすじを読んで片っ端から借りていって、深夜、リビングのテレビにイヤホンを挿してとにかく観続けた。

中2の半ばからは、そういう環境から抜け出すために高校受験を意識して、地元から1番近い繁華街のショッピング・モールやカラオケに周りの子たちからハブられないようについて行くことをやめて受験対策用の勉強に没頭した。

美沙をはじめ周りの子たちは、わたしの付き合いが悪くなったことをきっかけに陰で悪口を言っているのも知っていた。けれどそういったことを一切無視しつづけて2月半ばの前期試験も乗り越え、わたしは県立で上位の進学校に受かった。

ようやく地元のしがらみから逃れられると思い晴々した気持ちで望んだ入学式。
ただ3ヶ月も経てば結局虚栄とともにしっかりとした化粧の仕方を覚えはじめた意地の悪いスクールカーストの上の方にいる子たちやその取り巻きが、教室の空気を静かに支配していった。

深い絶望感を抱えつつも、相変わらず外面は明るく振る舞って男女?性別?なんかも分け隔てなく、ざっくばらんで快活な雰囲気の女の子を演じながら高校生活をやり過ごしていた。
高2のはじめ、いつも休み時間になると教室の片隅で静かに小説を読んでいた芳幸くんと席替えで前後になり、わたしの好きな映画の話やその原作の小説のことを少しずつ話しているうちに仲良くなって付き合った。
親のいない時間帯にお互いの家で定期試験の勉強をしたり、デートの最後の方で将来の夢や色々なことを話し合ったりしてそれなりに幸せな感情が湧く瞬間もあったけれど、だんだんわたしの方が退屈を感じるようになってしまい長続きはしなかった。

大学は、母親に奨学金を将来返すことを条件に頼み込んで映像学科のある私立に入った。
映像表現の専攻に進み、相変わらず高校生からの癖で飲み会とかで下ネタも許容する様なキャラを演じつつ何人か男と付き合ったりバイトとサークル仲間との自主映画制作に明け暮れた。

就活もそつなくこなして新卒ではテレビ局の傘下である制作プロダクションに入ったけれど、あまりの激務に根を上げて2年弱で辞めた。

その後は3ヶ月だけ近くにあったスナックで働いて食い繋ぎつつ、やっぱり映像作品を作ることに未練もあって一旦はアダルト・ビデオの制作会社に潜り込んで働きつつ"自分の"映像作品を作ろうと決心してから、惰性でもう4年半が過ぎていた…

「千智ちゃーん、女優さんの帰りのタクシーってもう呼んでる?」

「あー、さっきアプリで呼んでおいたんで、たぶんもうすぐ着く頃だと思う。もう一回アプリで確認するんでちょっと待ってください!」

タクシーがこのマンションの表通りに着いた事を表示しているアプリを閉じて女優さんを案内してタクシーに乗せた。

「千智ちゃん、そこの台車に載せてる白レフとソフボだけ先に下ろしといてくれない?石川が先にバン取りに行ってっから!」

「はーい!」

…上山さんは疲れてそうな時でも誰かに話しかける時は、必ず最初に相手の名前を呼びかける。何となく良いなと思う…

エレベータでカゴ台車を降ろすと、たぶんスタジオを管理している男がエントランスの外で2本の吸い殻を右手の人差し指と中指に挟みながら掌で隠すように持って突っ立っていた。

ふと記憶の中にある男の誰かに似ているなと感じた。

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「千智はさぁ、何でそんなに映画を観るようになったの?」

「何かね、中学の時に何となく居場所ないなぁ〜と思ってて、あ、普段はみんなに明るく振る舞ってたんだけど、そういうのが辛くなってきて、何となく小学生のころ親に連れられて、たまに行ってた近くのレンタルビデオ屋に入ってみたの。最初なんにも知らずにベルリン・天使の詩っていう、おじさんに羽が生えた様な写真がプリントされたジャケのDVDを借りてね、しばらくずぅーと色んな人の心の声が聞こえたりしながらモノクロですすんでゆくんだけど、重要なシーンでカラーに切り替わるの。
全部が今まで観ていた映画とは全然違ってホントにすごく良くって…それがキッカケかな。
よし君は何で小説読むようになったの?」

「おれも千智とちょっと違うんだけど、たぶん似た感じで、昔から割と図書室で本借りて読んだりしてたんだけど、中1のとき放課後に何となく駅前の近くの小さな本屋で平置きにされてた"長距離走者の孤独"って、ユニオンジャックとマラソンランナーが半分ずつ印刷された表紙の本が何となくカッコよくてさ、家帰って読んでたら、主人公がさぁ、なんかおれとおんなじ気持ちじゃんって思って!」

「へぇー。そうなんだ!なんか良さそうだね。今度貸してよ」

「良いよ!明日持ってくわ。千智のその映画も今度家で観ようよ」

「うん!じゃあ、明日それ貸してもらう代わりにビデオ屋も一緒に行こ〜よ。旧作だから1週間でたぶん何回か観られると思うし」

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何となく、わたしと似たような疲れを含んだ感じのその男に声を掛けた。

「おつかれさまでーす、すいませーん遅くなって」

「おつかれさまです」

わたしより半分くらいの小さな声量でその男は返事をした。エントランスを出ると表通りに石川くんがもうバンをつけていたのが見えたので急いで台車を押していった。

少ししてから上山さんたちも降りてきて少しづつ機材をバンに積み込んで、みんなは残りの機材を取りにもう一度上がっていった。

ぼんやりと甦った芳幸くんの顔と会話が少しだけ懐かしくなって、そういえばエントランスに突っ立っているその男は芳幸くんの目元に似ていることに気づきながら、もう一度話しかけてみた。

「ねぇ、お兄さんは何でこの仕事してるの?」

「元々音楽を演ってまして…食い繋ぐためにはじめました」

一旦その男は顔をあげて、わたしの胸元あたりに視線を動かしてから、すこし気まずそうにふたたび瞳をエントランスの床タイルの方へ戻しながら答えた。
その男に返す言葉を、急いで頭の抽斗をひっくり返して探しつつ口を衝いてでてきた言葉は

「あー、確かにバンドマンっぽいもんねぇ〜」

だった。

発した後に、一呼吸置いてからその男はわざわざ元々という言葉を頭につけて応えていたことに気づいたけれど、もう遅かった。

「いやー、そうですかね?」

何となく芳幸くんに似た一重の瞼でつくる微笑はぎこちなく、その男はわたしに対して明らかに嫌悪を含んだ雰囲気をその目元から顕しはじめていた。

一瞬だけ意識に甦った記憶。

遠い記憶が、もう一度静かにわたしの意識の奥の方へと仕舞われてゆく。

それ以上、もうその男に返す言葉もなく、わたしは再び台車とともに降りてきた上山さんや石川くんたちとともに残りの機材を積み込んでいった。

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つづくぅっ?!
(オダギリジョーが出ていたライフカードのCM風で)

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