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千葉大学発の起業家の告白|第四章|神崎陸

自分のオフィス

2020年1月、半年前には人もプロダクトも0だったところから渋谷に8畳のオフィスを構え、プロダクトリリースもできていた。
今までは、平日は投資元のラウンジと土日は無料のヤフーのラウンジに通い詰めていて、居心地は悪かった。知らない人が多くいる環境の中で気を使いながら仕事をすることに疲れていた。
オフィス探しは、難航した。当時のサービスはインフルエンサーを集める必要があり、インフルエンサーとサイバー本社で会っていた。なので、仲介の人には「安くてラウンジに近いオフィスをお願いします」と言っていた。
「坪20,000円の物件なんですけど」
っと紹介され
「坪20,000円!?いやー…」
そのようなやりとりを何回もして何件か内見したあとに、
「坪15,000で8坪の物件がありますが、見に行きますか?」
っと紹介してもらった。そこはセンター街の騒がしい中にあった薄暗い白が汚れてグレーになっている建物だった。
「耐震構造ではない物件です」
そうオフィスの仲介業者の人にいわれた。
「地震が来たら潰れる可能性があるのか。地震が来る前にプロダクトを大きくして移転すればいいってだけか」
だと思った。
天井にも棚があって収納スペースがあるし、通販をやる上で在庫を抱える必要があるから便利かもしれない。ベランダに出たらすぐそこにあべまタワーズがあるし、元気が出る。
それに、前職の創業期と同じぐらいのスペースだからイメージも湧きやすい。
「よし、ここにします!」

「みんなオフィスが決まったぞ!あべまタワーズのすぐそこにある物件だ」
「本当!?もうここで仕事するのしんどかったんだよね」
「やっと普通のオフィスだ」
プロダクトも完成に近づきつつある中で、オフィスも持てるようになり何か会社感が出てきていた。
「よしここからさらに伸ばすぞ。全員ここのオフィスに出社するように!夜中まで仕事できるぞ」
そう意気込んでいた。


コロナ

「武漢で新型肺炎が蔓延して都市が閉鎖されています。公共交通機関の制限措置がされています。」
「なんか中国でえらいことになっているな」
「ふーん」
ニュースは人ごとで見ていた。とにかくプロダクトを伸ばしたい。多くの人に価値を届けたいと思っていた。
インフルエンサーに商品を告知してもらうから、まずはインフルエンサーの方に協力してもらおう。あとはメーカーさんにはインフルエンサーが無料の告知をしてくれるからという訴求で営業しよう。
営業もマーケティングも自分でやっていた。時間を決めて、インフルエンサーの資料を作って営業し、メーカーさんにも資料を作って営業をしていた。オフィス移転してからというものの、朝10時前にはオフィスに来て、夜の23時ごろに帰るという繰り返しだった。土日じは遊ぶという概念がなく、協力してくれるインフルエンサーを探し、営業日以降の営業連絡の準備をひたすら2月と3月は繰り返していた。
ファッションやコスメのメーカーさんと会い、話を伺い、インフルエンサーがインセンティブで自分の好きなものを紹介してくれることに賛同してくれる人は多かった。展示会などに招いてもらい、「インフルエンサーに事前に出す商品をこうやって紹介しているんですよ」っとメーカーの担当者が親身にしてくださった。
協力してくれるインフルエンサーにも
「この中から欲しい商品を選んで、紹介したいものありますか?」っと聞いた時に
「うーん、この商品とこの商品なら…紹介します」
商品の数が少なすぎて、インフルエンサーと商品のマッチングがまったくできていなかった。
「じゃあ、この二つの商品でいいので、オススメポイントを書いてアプリ上で投稿してもらってSNS上でも投稿してくださいませんか」
と伝えた。
「わかりました!やってみますね!」
すぐにインスタグラムに投稿してくれた。投稿をみた瞬間は大変に嬉しかったのを覚えている。
だが、それと同時に絶望も感じたのを覚えている。まったく商品が買われない。
SNSに投稿してもまったく買われなかった。インスタグラムのストーリーで投稿しても見ているのはフォロワーの10%ほどで、そこのリンクを押して遷移するのはさらに少ない数であった。またそこから商品を買う人というのはいなかった。
「なかなかストーリー見る人の率が多い人っていませんね。ライブ配信で140人ぐらいしかいなかったので難しいと思います」
「熱量の高いファンがついている人を探そう。」
ただ、熱量が高いファンがついている人は人気で、そう簡単に協力してくれる人は見つけられなかった。
悪戦苦闘している中、
3月、「ダイヤモンドプリンス号でコロナが初確認」というニュースが流れていた。
「このままどんどんコロナは広がってきますね。」
「怖いな。感染したら死んじゃうかもしれないなんて」
当時は、かなり恐れられていた。
「オフィス出社の方が生産性がいいからギリギリまで出社して仕事しよう」
当時は、リモートという文化はなく、オフィス出社が常識という中であった。プロダクトの改善や開発に必死でそんなニュースは、あまり気にしていなかった。

変化と負のサイクル

4月になって段々とコロナの猛威が増してくる。
「うちはリモートにします」と宣言する企業が増えてきていた。4月に入ってすぐインターン生から「コロナが怖いので出社するの難しいです」っと言われた。「そっかリモートにするか」
その後すぐ緊急事態宣言がだされた。
オフィスはリモート。自分は家では仕事ができない性格だったので、家から渋谷のオフィスに向かっていた。Zoomやリアルタイムの会話のツールで作業をしていたが、顔や前にいないことで必然と会話が減っていった。サービスはまったく伸びておらず、鳴かず飛ばずの状態だった。インフルエンサーが商品を売ってます!オススメしています!とSNSに流しても、まったく買われなかった。商品の魅力とそこで買う理由がまったくなかった。どれだけ営業を頑張っても、開発をしてサービスを改善しても伸びない。「きっとこの機能がないからだ」「まだ商品が揃ってないからだ」という未来への期待を言い訳にサービスを考えていた。客観的に見たらこのプロダクトはダメだろう。だが、今まで費やしてきた時間を考えると容易に撤退とはいいだせない状態だった。
コロナになってリモートになった。リモートの仕方が右も左もわからない中であった。サービスは伸びない。オフィスでは一人黙々と向き合っている時間が長くなり、必然と会話が少なくなっていった。
次第にオフィスに行ってもぼーっとする時間が増えてきていた。仕事の指示ができない状態になっていた。原因は、サービスが伸びていないこと、そこに対して誰かと相談する人がいないことだった。医者に行くと、軽い鬱だと診断された。薬を飲んで、人とたくさん話すようにといわれた。コロナ鬱という言葉も出ていた時期だった。誰かとあれやこれやと話ながらサービスをつくっていく自分にとってリモートで誰とも話さないという時間が長くなるのは苦痛だった。
その時には、人も離れていった。開発のプロジェクトや営業のプロジェクトに指示が出せずままにならない状態だった。当然指示がないから何をしていいのかも業務委託メンバーは分からず、辞めていった。数か月前は活気があったオフィスに一人ぽつんといる状態が4か月ほど続いていた。中身がなくその時期はなにをしていたのかは、あまり覚えていない。ただ時間が過ぎていっていた。
伸びないと分かったサービスを少し手を加えて路線変更した。インフルエンサーがものを売るのではなく、メディアと通販を組み合わせたコスメの通販サイトに変更した。記事をつくってそれで集客をしてそのまま通販サイトで購入をしてもらうというものだった。記事機能を使って経験のあるSEOをすればきっと伸びる。当時は既存のサービスをガラリと変える怖さから小さい希望を見ていた。しかし、ダラダラと伸びないサービスを運営している中でよいことはなく、同期の友人に手伝ってもらったりしたが、1か月ほどで辞めていった。

希望

何をしにいっていたのかは何も覚えていないが、表参道を歩いている時、前のサービスをやっていた創業期のエンジニアから「何してる?元気?」っとラインをもらった。急なラインだった。そのエンジニアは、就職先が決まり、立ち上げ初期に引き継ぐエンジニアがいたからと颯爽と辞めていったことから、いい別れ方をした訳でなかった。そんな彼からふとLINEがきたのは、当時誰も仕事で会う人がいなくとぼとぼ歩いていた自分にとっては気づいたら電話をかけているほど藁にもすがる思いだった。
「久しぶり、いま、前のサービスが難しくて次のサービスをやろうと思うんだけど、何してる?」
「今ちょうど前の仕事先が終わって、次何やろうかなっと思ってた」
こういう時に神様がいるのかも知れないっと思った。
「次のサービスの開発を手伝ってくれない?」
すぐさま誘った
「あーいいよ。どんなサービス?前よりは働けないと思うけど」
とても嬉しかった。やっと誰かと一緒に働ける。サービスがつくれると。
「で、なにやるの?」
実は、少し調べていた。
「共同購入のような通販をやろうと思うんだよね。」
その時はそういったかもしれない。ただ、まだ決まっていたわけではなかった。
11月、それまで正気を失っていたのがうって変わったかのように、活気づいた。自分は長期の目標から整理して、要素分解して今何をやるかのプロジェクトマネージャーの立場をするのが得意だった。好きでもあった。久しぶりにそういう仕事をやることになった。


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