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履歴書にひとつだけでも資格を書かせてあげたい。

SNSでタイムラインに流れてきた記事: 校長就任1年で「中退率」半減 評判"最悪"だった都立高校をよみがえらせた名物校長の3年間

記事で書かれていた栗原校長先生の一言に目を奪われた。

栗原先生がどうしても実現したかったのが、生徒全員に資格を取らせることだった。
「このままだと、彼らは何の資格もないままに卒業してしまいます。ほとんどの生徒が就職を希望しますが、履歴書にひとつだけでも資格を書かせてあげたかったのです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5c5197f20c35905ff11f597883f0ae2f6b6f737

履歴書にひとつだけでも資格を書かせてあげたい。
高校を卒業して就職をめざす生徒が多く、仕事を得るために履歴書の提出が必要だからという理由からの一言だと思う。ただ自分は、この言葉にはもうひとつ、「高校を卒業するときに、自分が成し遂げたものをひとつでも、自信を持って伝えられるようになってほしい」という教育者としての思いがあるのではないかと、想像した。

自分もちょうど1年前に高校を卒業した。コロナ禍での卒業式。全員マスクをつけて会に出席。「卒業式」のイメージのような盛り上がりはない。静かに、でもみんなきっと心の中に大きなエネルギーを抱えながら卒業した。僕は、進路の状況が他の生徒と異なり、卒業式のときには入試の結果をまだ受け取っていなかった。進学先が決まらない不安も感じていた卒業式だったのを覚えている。

記事を見た1日前には、自分のひとつ下の後輩が高校を卒業した。コロナ禍はまだつづく。部活で競技に一緒に励んだ、大切な後輩たちは、どんな思いで卒業したのだろうかと考える。

中高一貫校で、6年間同じ部活に所属した。決して、全ての部員が6年間居続けるわけではない。なかには、中学3年間で引退する人もいれば、途中で部を離れる人もいる。自分も、ひとつ下の後輩から、部活をやめようか悩んでいると相談を受けたことがある。そのたびによく、中学高校6年間の意義ってなんだろうねーと、一緒に考えた。

学生にとって、中学高校の時間をどう割くかを考えるのは難しい。高校卒業という、想像はつかないが確実に起こる未来に、期待と不安を同時に感じながら、日々どのように時間を過ごすか考える。高校入学と同時に予備校に通いはじめる人もいる。バイトをする人もいる。部活も、続ける人・変える人・やめる人など様々だ。なかには、様々な事情で選択肢が限られたり、定められたりする人もいる。

中学の終わりで、高校も同じ部活を続けるか、僕も悩んだことがある。他の部員よりも実力が低かった。それでも、高校を卒業するときに、自分は同じ部活を6年間頑張ったのだと胸を張って言いたくて、部活を続けることにした。そして、その選択肢は大正解だったと、卒業して気づいた。

後輩の相談に乗って気づいたことがある。自分が自信をもって好き/頑張った/取り組んだと言えるものはなにかは、本当に本人にしかわからない。僕は、後輩と一緒に話をして、選択するのを見守る。選択したあとは、自分に相談してくれたことへの感謝を込めて、応援する。部活を続けた後輩も、やめた後輩もいる。その選択が正しかったかは本人が考えることだ。ちょうど昨日、相談にのった後輩たちも卒業していった。どんな形でもいい、彼らが昨日の卒業式で「自分はこれが好きなんだ」「自分はこれを頑張った」というものを一つでも持って卒業してくれていたら嬉しいなぁと、勝手に願っている。

中学高校の時間をどう使うのか。一緒に考えるために、仲間がいる。自分が好きなもの、得意なもの、頑張ったものを持てた、僕の中学高校の6年間は幸せだった。仲間にもたくさん恵まれた。部活を6年間頑張ることは、珍しい経験であるとは言い難い。珍しくないという理由で、大学に出願する書類に書くのは諦めた。でも、その6年間の背景にあるストーリーや、その経験から学んだものは、自分だけの人生の教科書であり、宝物だとおもう。高校を卒業して1年。栗原校長のように僕も、より多くの中高生が、自分だけの勲章を持って卒業できるような場をつくる、お手伝いができるようになりたいと、記事を読んで思った。


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