制服。
ダボダボの制服を着ている男子学生を見た。
年が明けて、もうそんな時期かと時の流れの速さにビビる。
新入生にダボダボの制服を買い与えるのは是か非か。
子供にとって、制服は1年中もっとも多く着る機会がある服。
いわば、学生にとって、制服は人生と言っても過言ではないのではないか。
その、人生を、大きくなるのかも分からない可能性にかけて、ジャストフィットでカッコよく謳歌しないでいいものなのだろうか。
と、私はダボダボ学生のご両親に問いたい。
お金の問題は置いておく。
と、いうのも、私は中学入学時143cmくらいしかなかった。
そこから卒業時には165cmになるくらいまで成長することには成長できた。
そして、私ももれなくダボダボの制服を買い与えられ、最初のうちはでかい部分を引きずっていたような記憶がある。
うちの中学の体操服は、裾がすぼまった、昔ながらの体操服で。
普通に着ると、まぁ、ださい。
だから、みんなこぞって、体操服の裾を広げる努力をしていた。
座布団を押し込んでのばしたり、手で思いっきりひっぱったり、靴にかぶせながら授業を受けたり。
みんな思い思いの方法ですそを伸ばしていた。
自分は、座布団をつっこんだ状態でアイロンをかけ、熱で伸ばそうとしたあげく、素材のナイロンが溶けて、裾がデロンデロンになったことがある。
友達に笑われ、からかわれた。。。
そんなことを1年次に行い、3年次になれば、みんな立派なラッパズボンで体育を受けることになる。
学ランも例に漏れず、第一ボタンを開けたときに、いかにカッコよく観音開きになるか研究しながら開け具合を調節していた。
自分は不良でもなんでもなく、れっきとした1軍でもなかったけれど、それなりに格好つけたかったので、第一ボタンを開けたり、体操服をラッパズボン化しようと奮闘していた。
そして、学校指定のカバンは平たければ平たいほどカッコ良いとされ、みんなこぞって、カバンを特大クリップで両脇から止め、真っ平らに潰していた。
決してスケバンとか、ヤンキーとか、鉄板を入れて、とかの時代ではなかったけれど、田舎だったからか、まだそういうのがかっこいいとされていた時代だった。
そして、それらを全てやらず、内申点を稼いで高校に推薦してもらえるよう、必死で流行りの波にあらがっていた友人がいて、それもそれでかっこよさを感じ尊敬していた。
学生にとって、制服とは、このくらい、情熱を費やし、いかにカッコよく着こなせるか挑戦し続けるものなのである。
だから、お父さん、お母さん、学生にはかっこいいスタイルで着られる制服を買い与えてあげるのはいかがだろうか。
お金はたくさんかかるかもしれない。
けど、将来、写真を見返した時、そこには制服をカッコよく着こなす我が子の姿があるのだ。
それは、もう、プライスレスではないだろうか。
今朝、ダボダボの制服を着た男の子を見て、そんな記憶を思い出していた。
そんな初春の4月。
日が温かい。
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