相手が欲しいモノ・私があげたいもの
GWに実家に帰ってから、
「〇〇の土日は帰ってきて欲しい」と、
「予定どお?」と、何度も私にお伺いを立てる母。
聞けば、母が切り盛りしているお店が、何周年だか節目を迎えるため、手伝って欲しい、とのこと。
先月は先月で、PC関係で、どうしてもやって欲しいことがある、とのことで帰省を頼まれたこともあった。
強行突破で実家から距離を置いてからは、帰省についての連絡は、ほとんどなくなったが、お盆やお正月などには“控えめに控えめにだけど”確認メール又は電話が入る。
4月に母の誕生日を迎え、5月に母の日を迎え、
何かプレゼントしようと思いながら、
未だに何も出来ていないので、あれこれ考えていた私は、
ふと、
至極当たり前のことを改めて認識した。
母が欲しいモノ(私に求めるモノ)は、
目に見えたり手に持てたりする物じゃないんだよな、って。
もちろん物をあげればそれはそれで喜んでくれる(お土産大好きだし)人なんだけど、
母が欲しいモノ(私に求めるモノ)は、
困ったときに協力してくれたり、なんでもないある日・ある時間を共有して、食事したり、お喋りしたり、話を聴いてくれたり、もしくは何もしなかったり、
物理的な距離ではなくて、感覚的な距離を指して、《私が近くにいる》ことなんだよな
って。
私は、数年前までこの重みに耐えられなかった。
“そばに居てあげなきゃ、私がやってあげなきゃ”
と
“もう解放して欲しい、私の人生を歩ませて欲しい”
の間で揺れ動いてた。
私が悪かったわけじゃないし、母が悪かったわけじゃない。
ただ、私は自立できてなかった、というだけ。
振り返ると懐かしい笑
自己犠牲でも無く、自分の要望を押し付けるでも無く、
私と母、家族の幸せについて考えてみるよ。
そして、家族以外の周りの人との関わり方も、自己犠牲でも、押し付けでも無い、いい感じ に繋げよう。