他人の問題のようで、自分の問題であること

家のこと、子供のこと、自分のこと。
バランスもいつも足したり引いたり家庭の様子でも変えてみたり自分の中では常に揺れている。

でも、それは他人には分かるものではなく

分からなくて当たり前なのだけれど、
ぱっと見た外側で判断されるともやもやすることこの上ない。

違うんだよーう!と叫びたい。
それは活断層の1番上の上、みたいな部分なんだよーと。


仕事も育児もうまく両立している人は私はいないと思ってる。
人一人を育てるって本当に大変だ。

みんな、水面下でバタバタしているものだと思っている。


育児生活も10年が過ぎ、数々の小言は自分自身の現状、もしくは過去への不満だなと思うことが多くなった。

例えば、
母親の服装問題は息子がまだ赤ちゃんの時から今に至るまでずっと存在していてよくメディアでも目にする。

集団生活に入っていくとそれはさらに耳にする様になるトピックだけれど

母親なのにそんな格好して、とか

送り迎えにその服装は…と思う

心のうちは

私だってオシャレしたいのに、

もしくはしたかったのに、

こんなに我慢してるのに!

という気持ちが存在しているように思う。

実際、私も赤ちゃん期はどこまでも洗える服オンリーの選択肢に途方に暮れていた記憶はある。


母親とはこうあるべき、という刷り込みもあるかもしれない。

そこに理想があるのかもしれない。

そうしたらそれを自分自身が貫けば良い。


他人の問題のようで、自分の問題であることは多々ある。


向けられた言葉を聞いて、その人自身を分析する癖がついてしまった自分は嫌なやつかもしれないが客観的に考えられる様になり、楽になった。

考えるべきは私の行動?あなたの闇?

間に受ける言葉なのか、人なのか

をよく考えること。

棲み分けして、愛ある言葉に耳を傾けること。

厳しい言葉も愛があれば、もやっとしないことに気がついた。

自分もあれ?と感じたら他人を否定する前にどうしてそう思ったのか、考えるようにしたら自分のことが少し分かるようになった。


向き合うべきはもやっとしたその自分の心の内で

ファッションに限らず、自分の心の内側と向き合って自分を満たしてあげたらママ友トラブル始めトラブルは格段に減るんじゃないかと思っている。

家庭なのか、仕事なのか、自分自身なのか。
他にも色々あるのだろうけど
他人にもやっとしたら自分を掘り下げるチャンスがそこにあるように感じる。


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