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水のように生きる

久しぶりに、バスに揺られてゆっくりと移動している。


普段きっと接点がない方々と、バス、という接点で同じ場にいることに、なんだかすごく心地よさを感じている。



今月がもう終わってしまうけれど、もう数ヶ月かのように感じる日々だった。


わたしの2024年は12月から始まっている


と言っていたけれど、なるほどたしかにその通りで、これまでとは大きく変わった日々を過ごしている。



そんな今日は、32回目の誕生日。
なにを綴りたがっているのか、書きながらじぶんとお話してゆく。




やりたいことの正体

私はこれまで、もう頭がもげるほどやりたいことが見つからぬまま、より今のわたしが求めている選択をし、少しづつ、少しづつ、使命という得体のしれないものと向き合ってきた。


これだ。


と掴んだと思っては、離れてゆき、なかなか掴ませてくれるものとは出会えず、いきいきと生きている周りのひとを見ては、鬱々としていた。


しまいには、ビジョンは必要なのか?いらなくない?
目標を決めてゴリゴリやるのはもうこりごりだ。
ゆったり余白を持って生きたい。
英雄の旅の歩みはもう、胃もたれする。



などと言って、テンションがかからない私を正当化していた。でも、こころでは「これだ」という、有り余るエネルギーの向け先を求めていた。



胸を張って、自分のことを伝えられるようになりたかった。



1年半前に、自己紹介ができないと悩んでいたけれど、どう?
ー今だって、まだもごもごしながら自己紹介している。自己紹介は自分の内側と外側をむすぶ道となっている。



これが終わるときはくるの?
ー別にいつだってもごもごしたらいいじゃん。ハキハキともごもごどちらだっていいじゃん。そのときどき違っていいじゃん。



3年くらいコーチングや、場をとおして、関係性をとおして自分をみていく中で「もういいか」というある種の諦めと世界への委ねへあり方が変わっていってから、やりたいことはやって来てくれた。



やりたいことなんて、自分の中にあるうちはいつだってまやかしだし、それでいて、そとから現実に現れてくる。いつ、何をキャッチできるかは自分次第(運命)だし、キャッチしたくなくてもしちゃうのは、さだめ(宿命)。これだけなのだと思う。



世界は思ったよりもシンプルなんだ。



やってみて、終わって、やってみて、終わって、その中でも続いていたり、残ったりしているものが、わたしがやっていくこと



やってみて、を大層にとらえる必要はなくって、大小のサイズだってなくって、その種があることを、あるね。と見てあげたらきっと出たいときに出てくるよ。それをわたしは、わたしに対しても、あなたに対しても信じている。




どんな世界を体験したい?

あなたは、その眼になにを入れたい?
これはそのときどき変わることもあれば、ぶれずに同じことだってある。
そんな光景を目にしているあなたは、何をやっている?どう在る?



物質としての世界はひとつかもしれないけれど、ひとそれぞれだけの世界がある。みんな見ている世界が違うように。



あなたには、今なにがある?
たくさんのものが、ある。でもそれは、あなただからこそ、あるもの。



有言実行も素敵だけれど、有言だけでもいい。ことばとしてかたちになって出てきたら、あとはやりたいならやっているだろうし、違ったらやらないし、世界が勝手にやらせるかもしれない。



もはや有だけでもいい。
ある、からはじめよう。




水のように生きる

そんなわたしは、わたしの「ある」を沢山認めちゃったので、毎日がお祭りのようにさわがしい。



ない、を補完したり埋めるように行動してきたこれまで。
あるものから始めたら、毎日がすごくたのしい。辛さを包含した、たのしい。



あるものの先に、あって欲しいけどないものは、経験していったり、だれかに助けてもらいながら歩んでいく。



どんなときも、どんなことがあろうと、わたしはわたしでありながら水のようにあるがままかたちを変えてゆく。



尾道~香川の旅で、その「ある」が「確信」に変わったので、拠点をもつことがようやく現実に現れ



海外にも拠点を



とまで考えているけれど、まぁなるようになるし、ならないときはならない。




でも、どこで、なにをしていようと




わたしの目のまえには、だいすきなみんながいて、それは知っているひとも、はじめてのひとも、家族も。関係性や、その場を形容することばはなくて。



料理をつくっているかもしれないし、ただ座っているだけかもしれないし、寝転がっているかもしれないし。でもそこに私がいるという事実がただある。



きっとそんな、世界を見ている。



お金は?
妊活は?
いまの仕事との兼ね合いは?



とか、色々もちろん考えるんだけれど、考えるよりもやってみている。



さまざまなもの、ひと、世界とのつながりのお陰で、今のわたしがある。日々、感謝しかない。
わたしを生かしてくださり、ありがとう。本当にありがとう。



だからこそ、これからは、わたしの番だ。



今度はわたしから、そのつながりを生んでゆく。
もちろん循環してゆくものだけれど、ありったけのエネルギーを向けていく。
世界への恩返しがはじまる。





想像し、創造し、生成してゆく。






謝辞

今朝、目を覚ましてから今にいたるまで、いろいろなところで、たくさんの方からお祝いのメッセージをありがたくも頂戴しました。



生まれてきてくれてありがとう



こんなことばをかけてもらえる人生は、用意されていたのか、自ら歩んできたからなのか。どちらでもいいんだけれど、わたしはわたしの限り、



あなたでいてくれてありがとう。
生まれてきてくれて、ありがとう。



このことばを、ことばとして伝えることはもちろん、活動をとおして伝えてゆきたいです。



これまでも、いまも、これからも
出会ってくれた方も、まだ見ぬこれから出会ってくれる方も、
本当にありがとうございます。



みなさまの日々が、この瞬間が、幸せで溢れますよう。

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