見出し画像

雪結晶のナイフ

雪が降る。この時期になると私は、心の奥がズーンと疼くような感覚に襲われる。
「パパ!」
駆け寄ってきたのは、娘の秋葉だ。5歳になったばかりの秋葉は、プレゼントしたクマのぬいぐるみを抱えて、右足にしがみついてきた。
「どうした、ん?」
「ほら、秋葉。やめなさい。パパ、今日もお仕事なんだから」
アップルティーを机に置くと、妻の愛香が秋葉を優しく叱った。
「ほら、あっちで遊んで」
秋葉は、不貞腐れて部屋を出ていった。
「ごめんなさい」
「あぁ、いいんだ」
愛香は、秋葉が甘えると、いつも申し訳なさそうな表情をする。それは、秋葉と私の血が繋がっていないからなのかもしれない。

愛香と出会ったのは、あの事件の日だ。

「娘が帰らない」

義母から連絡が入ったのは、夕方の9時を過ぎた頃で、今日は、会社の接待で遅くなると伝えていた私は、一瞬、妻が浮気でもしているのではないかと考えた。携帯も繋がらない。車を飛ばして家に帰ると、物々しい雰囲気で警察車両が、家を取り囲んでいた。

「奥さん、事件に巻き込まれたかもしれません」

刑事ドラマでも見ているようだった。私は、意外に冷静に対応している自分に気がついていた。フィクションだと、そう思いたかったのかもしれない。

「奥さん、見つかりました!」

慌ただしく出入りしている警察官に、義母も立ち上がる。裏山に連れられ、義母は崩れ落ちるようにして泣きだした。そこには、白く積もった雪に覆われた妻の姿があった。胸に刺さったナイフさえも、妻を彩る装飾品に見えるほど、美しい光景のように思えた。

「あ!」
「こら、秋葉」
愛香よりも先に、僕は秋葉に出会っている。スーパーで走り回っていた秋葉は、僕の足にぶつかった。愛香は、何度も申し訳なさそうに頭を下げた。今までは、スーパーなんてほとんど行っていなかった。専業主婦の妻に全てを任せていたからだ。愛香とは、それから何度かスーパーで顔を合わせ、住んでいるのが向かいのアパートだと言うことを知った。
「夫は、出ていったんです。秋葉がお腹にいるときに、浮気されちゃって」
そう言って笑う愛香は、真っ直ぐな強い女性のように見えた。
「奥さんのこと、聞きました。本当にお気の毒で」
妻の事件は、一向に進まなかった。警察も焦り始めたのか、僕への取り調べもより増えていった。

あれから、もうすぐ2年が経つ。愛香との結婚に、いい顔をしないものもいたが、最後は、義母が背中を押してくれた。

「それじゃあ、いってきます」
愛香は、週に1回だけ実家に帰る。入院している実家の母の見舞いのためだ。
「バイバイ」
秋葉が、愛香に手を振った。
「秋葉のこと、よろしくお願いします」
「あぁ」
ドアが閉まると、僕は秋葉と約束をする。
「秋葉、約束、覚えているか」
「うん」
「二人だけの秘密だよ」
「大丈夫、パパは秋葉が守るから。だって、あの場所にいたって言ったら、パパ怖い人に連れて行かれるんでしょ?」
「そうだよ。秋葉もママも怖い人たちに連れていかれるんだ。だから、秘密だよ」
秋葉は、にっこり笑って頷いた。

愛香に会ったあの日、秋葉は、僕の前でこう言った。
「このおじちゃん、私、見たことある!」
僕は、その時、決めたのだ。
「はじめまして」
僕は秋葉の記憶を封じ込めなければならない。それが、僕がここで生き残れる道なのだから。

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,255件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?