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宝石箱のあした

 開けてはいけない箱がある。それはいつも私の手の届くところにあった。キラキラと光るそれは、手を伸ばせばいつだって、すぐに開けられるものだと思っていた。

「穂乃花には、わからないよ」

 そう言って、夕美は笑った。私には、あの時の夕美の欲しかった言葉がわからなかった。夕美は、今も目を覚さない。夕美の笑顔は、あの日から私の心の奥底に沈んだ。

「ここには、もうこないで」
 
 夕美の母親にそう言われ、私はどこかでほっとした。解放されると、そう思ったのだ。私は、夕美の悲しみに蓋をすることにした。

「穂乃花の高校って確か、●●高校だったよね?」

 Yesと答えれば、多分、この子は私の前から消える。Noと答えれば、きっと私はずっと、嘘に怯えて生活することになるだろう。どちらにしても、地獄だった。

 そんな質問も1年もすれば、みんな忘れていった。夕美の事件は、風化した。いじめの主犯格と言われた愛香も、名前を変えて今ではいつも通りの生活を送っているだろう。

「これ、本当に捨てていいの?大切にしていたものじゃなかった?」

 一人暮らしが終わる時、私は宝石箱を処分した。夕美が私のために贈ってくれた宝石箱だ。卑怯なことに、私は自分の手を汚さずに、最後の処分を陽太にお願いした。陽太は、私の過去を知らない。多分、知ったところで、私は悪くない、と言うだろう。私はいつだってそうだ。夕美の時のように、見てみぬふりをして、宝石箱の中で守られようとする。

「新しいの、買ってあげるよ」

 陽太は優しい。あの宝石箱は、悲しみでいっぱいだ。その悲しみは、今日、消してしまおう。新しい宝石箱には、もう、悲しみは入れないと決めた。それでいい。
私はそうやって生きていくのだ。

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