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人生ポスト(後編)

「八重ちゃん、そこで暮らしているんだねぇ」
「中橋さんは、今どこに?」 
「もうずっと前に死んだよ。戦争で」
 その言葉を聞き、僕も千尋も言葉を失った。
「八重ちゃんも、わかっているんだよ。でも、それでも書かずにはいられない。若いあんたたちには、理解できないかもしれないがね」


 帰りの車内では、しばらく千尋も僕も口を開かなかった。
「平野さんのこと、何でここまで親身になるの?」
 千尋がこんなに肩入れするなんて正直、驚いていた。
「私さ、中学までおばあちゃんと住んでたんだ。いつもケンカばっかでさ。それが嫌で、高校入るときに一人でこの町に」
 千尋は、両親を小さい頃に失った、と話した。
「こっちに来てからも、おばあちゃんからの連絡はほとんど返さなくて。面倒だなとか、ほっといてとか思ってさ。最近ね、おばあちゃん、死んじゃったんだ。ちゃんと、もっと会っておけば良かったって思うこともある」
 千尋は、身寄りのない平野さんを、どこか自分と重ねているのだろう。僕は、かける言葉が見つからなかった。 
「手紙なんて書いたことないけど、いいものなのかもしれないね」
 
 千尋をバイト先のコンビニに降ろすと、僕は、手紙を持って職場へと向かった。部屋を訪れると、平野さんは、珍しく車椅子に乗って窓の外を眺めていた。
「平野さん、これ」
 宛先不明で戻ってきた手紙を渡すと、平野さんは全てを悟ったような表情をした。
「ごめんなさいね、お手間をかけてしまって」
「いえ」
「あなたも千尋ちゃんも優しいから、少し甘えてしまった。随分、町も変わったようね」
 そういうと、平野さんは携帯を取り出し、千尋からのメールを見せた。
「ドラッグストアになってたって」
 千尋がそんなことをしているとは、思いもしなかった。
「あなたたちの時代と違って、私たちの時代は、二人で出かけることも、そんなにできることではなかったの。戦争に行ったあの人の帰りをずっと待っていたんだけれど、帰ってくることはなくてね」
 平野さんは、机の引き出しから1枚の写真を取り出した。僕と同じ歳ぐらいのその男は、とても凛々しい顔をしていた。
「私だって、生活のために他の人と結婚したりもしたの。でもねぇ、上手く行かなくてね。きっと、心にずっと違う人を想っている私を、愛そうとした夫も苦しかったんだと思う。別れた後は、ずっと一人で生きてきた。届かないと分かっていてもねぇ、伝えられなかった言葉を書きとどめておきたかったの」
 平野さんは、そういうとゆっくりと微笑んだ。その表情は、寂しさをぐっと堪えているようだった。
「中橋さんのお墓参り、今度、平野さんの代わりに千尋さんと行ってくるつもりです」
 本当は、こんなことをしてはいけない。そんなことはわかっている。きっと、佐々木さんに知られたら、一人の利用者に肩入れするなと、怒られるに決まっている。
「ありがとう。あなたたちの優しさ、本当に感謝しているの。この間も佐々木さんから、手紙に書いていること、私たちに話してください、全て受け止めますから、って言われてね。一人で生きてきたけど、最後にここを選んで本当によかった」
 僕は、涙で震える平野さんの手をぎゅっと握りしめた。

「ポストを設置したい?」
 佐々木さんは、予想通り呆れた顔をした。
「あの、考えたんです。多分、平野さん以外にも、きっとこういう想いを伝えたい人がいるんじゃないかなって」
「それで、その手紙はどうするの?」
「それは…」
 話を聞いていた千尋が、割って入る。
「届けることが目的じゃなくて、遺しておきたいんだよ。自分の生きた証を、誰かに宛てて」
 佐々木さんが、ため息をついた。
「わかった。会社には、私の方から提案してみるから」

 それから数ヶ月が経って、ホールに手作りのポストが設置された。
「よし」
「なかなかいいのが出来たんじゃない?」
 千尋は、あれからコンビニのバイトを辞めて、ここ一本で働くようになった。
「名前は、何にしようか」
「もう考えてる」
「へぇ」
 僕は、ポストの上に手作りのプレートを置いた。
「人生ポスト、悪くないね」
「届かない手紙と分かっていても、書きたくなる。そんな想いの力になれたらって」
「じゃあ、1号は私で」
 千尋は、手紙を取り出した。
「手紙なんて初めて書いたよ」
 照れ臭そうに笑う千尋の顔は、少し柔らかくなったような気がする。
「ほら、平野さんに伝えてこなきゃ」
「そうだね」
 僕は、急いで平野さんの部屋に向かった。


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