『ラブイユーズ』オノレ・ド・バルザック 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
ブルボン朝による絶対王政下では、アンシャン=レジーム(旧制度)によって、国民は異常な徴税に苦しめられていました。第一身分(聖職者)、第二身分(諸貴族)は、国土を保有する封建領主でありながら免税の特権を得ており、第三身分(特権を持たない市民)たちの多くは貧困に苦しめられていました。ルネサンスより広がり続けた「人間の解放」を根源として、ルソーなどによる啓蒙や、イギリス革命により生まれた社会契約説などに感化され、1789年に第三身分者たちによる打倒絶対王政を掲げたフランス革命が勃発します。
バスティーユ牢獄の襲撃、教会財産の国有化、それによる聖職者の国家管理下、などを経て、君主制から共和制へと移行を始めます。革命軍による戦争は次第に勢いを弱め、第三身分の者たちは社会の平定を望み、各人は財産の確保と経済成長を望み始めます。このような保守的思想が第三身分のなかで生まれ、政治の安定と国の発展が望まれるようになった社会から台頭したのがナポレオン=ボナパルトです。イタリアやエジプトなど、国力拡大のために他国へ遠征を続けて市民に支持されると、共和派によって維持されていた総裁政府を奸策によって打倒し、ナポレオンによる独裁を樹立します。
土地や財産を確保し始めた民衆は、戦争による恩恵を支持してナポレオンの治める第一帝政を受け入れました。皇帝として君臨するナポレオンの野心は衰えず、領土拡大を続けるために戦争を途絶えさせません。民衆が手にした自由と財産は、ナポレオンの独裁のもとに徐々に締め付けられていきます。スペインを平定しようと進軍したナポレオンは、一旦は征服するものの、その地に住む民衆に激しく抵抗されます。また、イギリスへの対抗心を強く持っていたナポレオンは、イギリスとの取引を制限して、富を国内に止まらせようと大陸封鎖令を発布します。征服地はイギリスとの取引を停止しますが、イギリスへの輸出に頼っていた穀物などは逆に利益を無くし、ロシアは公然とフランスから離れていきました。それに怒り心頭したナポレオンはロシアへ遠征に向かいましたが、プロイセンやオーストリアと力を合わせたロシアにライプツィヒの戦いで敗れ、逆にパリを占領されてナポレオンは退位させられました。
翌年にパリへ帰還したナポレオンは再び皇帝として君臨しようとしますが、名誉を回復しようと試みたワーテルローの戦いでイギリスに敗れ、完全にナポレオンは衰退してしまいました(百日天下)。これによりブルボン朝が復活してルイ十八世、シャルル十世が支配し、復古王政を遂げます。アンシャン・レジームの復活を目論みますが、市民には財産の所有権が確立し、法整備による平等が保証されていたため、反動政治の強行には至りませんでした。ナポレオンによって拡大された領土は各国との同盟により元に戻され(四国同盟)、これによる賠償金を支払ったことで同盟に加わり、帝国列強の一員となりました(五国同盟)。
対外的な脅威が落ち着くと、シャルル十世は国内に向けて改めて反動政治を推し進めようと試みますが、市民から強い反発を受けることになります。1830年、シャルル十世が行った言論弾圧に反対する印刷所や新聞社を筆頭に、反体制の民衆蜂起が行われ、激しい暴動が巻き起こります。この争いは想像以上に膨れ上がり、シャルル十世を退位まで追い込みます。有名なウジェーヌ・ドラクロワの絵画「民衆を率いる自由の女神」は、この内閣交代を決定させた「栄光の三日間」を描いたものです。そして、これらの出来事を七月革命と呼び、ブルボン家の分家であるオルレアン家のルイ=フィリップが即位し、七月王政が始まりました。
1789年から1830年まで、つまり約四十年という短い期間で、フランスは国内外において激動の時代を過ごしました。そして国民は覇権が変わる度に、環境が変わり、税制が変わり、権力者が変わり、資産が変わります。それは権力者に近い人間ほど強い影響を受けます。特にボナパルティスト(退位したナポレオンを再び皇帝に据えようとする支持者)たちは、ブルボン朝との軋轢を我が事のように受け止めて、ナポレオンと名誉を共にするがために、要領良く立ち回ることができずに不遇の生活を受け入れざるを得ませんでした。このようなナポレオンの凋落に振り回されたナポレオン下の軍人たちは、自らの誇りを重ね合わせた反ブルボン朝の主義を掲げて、鬱憤を溜め込んで社会に身を委ねます。しかし、資本と自由が掲げられた社会では、金銭を公然と法のもとで強奪されることが罷り通り、地位と財産の無いものは貧窮の一途を辿ります。また軍人としての名声と名誉が邪魔をして、真っ当な勤労が出来なくなったボナパルティストの軍人たちは、金銭を得る行動が限られるため、悪の道へと身を落とす者が多くありました。
オノレ・ド・バルザック(1799-1850)は、このような現実をフランス社会の一つとして切り取り、写実的に社会を描く名手です。生涯を「人間喜劇」(La Comedie Humaine)という作品群の執筆に充て、都市や地方、貴族や庶民、男女、貧富、聖悪など、さまざまな角度で社会を観察して、多くの人物の物語を描きました。本作『ラブイユーズ』では、地方生活の風景を描くことを目的として執筆されています。しかし、当初の構想を遥かに超える厚みのある切り取った社会は、作り込まれた登場人物たちの個性が溢れ、重厚な物語として完成されました。バルザック円熟期の傑作の一つと言えます。
本作は1792年から1830年までが描かれており、前述のフランスの変遷に準えて書かれています。フランスのほぼ中心に位置する地方都市イスーダンで莫大な富を手にした老医師ルージェは、馬上で通行中に川のほとりで世にも美しい少女に出会います。川の水を波立たせてザリガニを獲る少女(ラブイユーズ)に一目惚れをしたルージェは、使用人として(思惑としては愛人として)家に招き入れます。このルージェには息子と娘がいましたが、娘は自分に似ていないということで突き放され、パリへ逃げるように移住します。この娘アガトはナポレオンに信頼されていた軍内部処理を行う公務員と結ばれます。比較的に豊かな暮らしを得られ、息子を二人もうけます。兄のフィリップは軍人にして奔放、弟ジョゼフは真面目な画家の卵でした。アガトは過労によって夫を無くすと苦しい生活を送らなければならなくなりましたが、フィリップの奔放は拍車を掛け、家庭の生活費まで使い込み賭博に溺れていきます。生活に限界を迎え始めると、アガトとジョゼフは亡くなった父ルージェの遺産を頼りに弟ジャン=ジャック・ルージェの元へと向かいました。
ジャン=ジャック・ルージェの元にはルージェ医師に引き継がれるように美しいラブイユーズことフロールが共に暮らしていました。しかし、フロールは情夫マクサンスと共謀してジャン=ジャックを言いなりの傀儡に育て上げており、引き継いだ遺産を全て掻っ攫おうと企んでいました。アガトとジョゼフは不名誉な冤罪を着せられパリへと逃げ帰ります。そこに牢獄より出所したフィリップは心を入れ替えたと主張して、アガトとジョゼフに事情を聞き、イスーダンのフロールとマクサンスの元へと向かいます。
悪党と悪党が渡り合う策謀合戦は、張り詰めた緊張感と打算的な醜さが互いに溢れています。フィリップとマクサンスは共に軍人崩れであり、名声や誇りを重んじています。しかし、行動や努力はそれらを高める熱量には変えられず、ただ富という一点に絞られて活動します。人情や愛情は全て削ぎ落とされ、狡猾さを鋭く磨いて相手を凌ぐことだけを考えています。マクサンスに訪れる破滅、そしてフィリップに訪れる破滅は、読み手の誰もが自業自得という思いであり、同情さえ芽生えません。ただ、彼らがナポレオン軍の軍人であったが故に抱いてしまった傲慢さ、そしてナポレオンの凋落によって被った不条理とも言える社会の変化は、人間を悪の道へ落とし込むのに充分な影響力があったと考えられます。英雄と同様に讃えられていた環境から、ブルボン朝が実権を握った途端に迎合を強制され、恩給も大きく減額されたとなると、首を垂れることが得策であると理屈で分かっていても、誇りが邪魔をしてそのように行動ができないものです。ナポレオンの復権のために立ち回り、(結果的には百日天下でしたが)再び皇帝に据えて自身の存在を肯定しようとする思考は、ある意味で致し方ないことであると考えられます。
本作では多くの人々が破滅して死を迎えます。フィリップ、マクサンスはもちろん、ジャン=ジャック、デコワン夫人、そしてアガトまで。善人さえも破滅に導くこの世界で、唯一とも言える大切な力は「審美眼」であるとバルザックは訴えます。芸術を理解するジョゼフは、驕りもなく直向きに筆でキャンバスに描きます。周囲や家族に理解されなくとも、絶対的に追い求める「美」は、本作においても最重要な鍵となっています。老医師ルージェはラブイユーズに絶対的な「美」を感じ取りました。その「美」は芸術性として昇華され、本作において絶大な力を発揮します。しかし、フロールは自身の存在を芸術的な美としては認識できませんでした。真善美を持たなかったがために、その美はジャン=ジャックを陥れる道具としての認識しかできず、美が導く富と幸福を手にすることができませんでした。アガトは信心深く貞淑でしたが、強いフィリップを偏愛し、芸術を追い求めるジョゼフを理解せず、フィリップと同等の愛情を注ぐことはありませんでした。そしてジョゼフだけが、老医師ルージェと同じ審美眼を持ってフロールの「美」を見出したのでした。イスーダンに向かった際に世話になったジャン=ジャック家の隣に住むオション夫人との会話でも、ジョゼフの美を見極める描写が鋭く描かれています。
バルザックは利己主義と皮肉を二人の悪党の破滅をもって描きました。当時の社会、資本と狡猾が幅を利かせる「自由」な社会は、人々を芸術の理解よりも資本の増加へ関心を集め、俗的な享楽が優先されていました。実の母にも芸術性の追求を理解されなかったバルザックにとって、本作を壮大な皮肉として描いたように受け取ることができます。七月革命より訪れた国民が主権を持った自由主義、国民主義は、芸術性の更なる衰退を招くのではないか、王政主義者であったバルザックはそのような思いも込めていたのかもしれません。
本作『ラブイユーズ』は、ドラマ性に溢れた非常に読みやすい作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。