『車輪の下』ヘルマン・ヘッセ 感想
こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。
ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』です。手元にある「旺文社 岩淵達治訳」が、名訳です。とても実直で原文の美しさが感じられます。現在は、旺文社自体が「旺文社文庫」を廃刊してしまい古書での入手しかできない状況。古典文学が中心で、さすが学習参考書が主力な出版社というラインナップですので、もし入手可能な機会があれば、ぜひ手にとってみてください。
ヘルマン・ヘッセは平和主義者です。1914年に勃発した世界大戦争では、各国の愛国主義をうたった作家の美辞麗句を受け、ヘッセははっきりと反戦的な表明として新聞に文章を掲載しました。
ここからドイツ愛国主義者から裏切り者のレッテルを張られます。平和主義者であるヘッセの思想は「個性を大切にする人間愛」からきています。戦争における惨状は人間を想うヘッセには辛いことであり、苦しみを与えます。しかし、彼に共感し、支える文学者もいました。トーマス・マンやロマン・ロランなど。彼らの言葉に励まされ、戦争において自分にできることをする為、捕虜の援護機関の仕事に従事します。
戦争が一時収束し、1933年にヒトラーが政権を握ると、「人類の粗暴な血まみれの愚行」に対する抗議を、芸術をもって行っていきます。ヘッセの作品はしばらく「好ましからぬ」作品とされ、出版も不可能な状態でした。
その後、戦争は収束し、1946年に『ガラス玉演戯』を中心に評価され、「古典的な博愛家の理想と上質な文章を例示する、大胆さと洞察の中で育まれた豊かな筆業に対して」、ノーベル文学賞を受賞しています。
1877年、南ドイツにある「ブレーメンからナポリ、ウィーンからシンガポールのあいだで最も美しい町」とヘッセが称した「カルフ」で生まれました。この生まれ故郷での少年時代が基礎となって書かれたのが『車輪の下』です。
この作品は所謂「回想録」であり、神学校への試験、寮生活の閉塞感、職人たちの仕事場、思春期の心の動きなど、とても現実的で情景や雰囲気が鮮明に伝わってきます。ヘッセが体感したことや、当時の感情などが、主人公ハンスおよび友人ハイルナーに置き換えられ、語られていきます。
祖父、父親ともに宣教師で、幼い頃から神学を修めることを暗黙で決められていました。ヘッセもその道へ進むことが当たり前であり、使命であると理解し努力します。非常に難関な神学校試験を突破し、寮生活が開始されます。この「家族と離れた環境」により、心が大きく成長し、考えに変化を及ぼします。
当時の教育制度の欠陥を振り返り、実体験で感じた束縛感、強制感、そしてその無意味さを明確に説いています。「個性」を大切にしたいという力が強いほど、周囲の強制力に反発するエネルギーが強く、それが「頑固」と映り、教師側は「反抗的」と受け取り対応する。そして「個性」を重んじる友人と繋がり、価値を共有していく。
この作品は文芸面でも多彩で、「美しい町カルフ」を元にした季節を感じさせる風景描写は見事です。りんごの収穫祭のシーンは音や匂いまで想像できます。
また、思春期に誰もが体験する感情や、成功と挫折、恋と友情、喧嘩と秘密、性と生、など幼さの残る思考や言動が、読み手の人生を回想させ甘酸っぱい記憶を呼び覚まします。
村上兵衛さんが巻末で実体験を含め、このように述べています。ヘッセがこの作品で最も言いたかったことがこれであり、「自分で自分を育てる大切さ」を教育制度の欠陥を下に訴えています。
つまりヘッセは「教育制度の欠陥」を主に訴えたいわけではなく、「各個人が持つ個性の保護」が大切であり、それを圧殺する社会に対する抗議が軸となっているのです。そして彼の実体験による説得力が、この作品を後世にまで伝える原動力として生きています。
主になるテーマは重いですが、思春期小説ですので、誰もが共鳴できる懐かしい感情や憂いを感じることができます。岩淵達治さんの訳が入手困難であれば、高橋健二さん訳を読んでください。ヘッセを日本に持ち込んだ方です。一応以下にいくつか並べておきます。未読の方はぜひ読んでみてください。
では。
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