『C神父』(蠱惑の夜)ジョルジュ・バタイユ 感想
こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。
1880年よりフランス第三共和政ではジュール・フェリーによる教育制度の改革が行われました。政府は教育において宗教的中立を保たねばならないという思想のもと、初等教育の「無償・義務・世俗化」を図ります。政府は信仰、信教の自由を保ち、公平な立場であるべきだとする主張でした。これにより国家における宗教予算(主にカトリック)が廃止され、ローマ教皇の怒りを買います。信仰心の強い教徒をはじめとした民衆は各地で暴動を起こし、軍が騒動を抑えなければならないほどでした。暴動の繰り返しにも国は姿勢を変えず、政府無認可の修道会や教育機関などを徹底的に排除します。そして1905年にモーリス・ルーヴィエによって政教分離法が制定されました。ナポレオン一世の統治より続いた政教協力体制は瓦解し、政府とローマ教皇のあいだに大きな溝を作り出すことになりました。
ジョルジュ・バタイユ(1897-1962)は無神教であった家庭に生まれましたが、自ら望んでカトリックへ入信します。本来的に持っていたミスティシズム(神秘主義)の資質がさらに培われて敬虔な信者として成長します。しかし、哲学者フリードリヒ・ニーチェによる反カトリシズム「永劫回帰」を受けて精神に衝撃が走ります。カトリックの持つ彼岸的、或いは来世的な思考の無責任さを理解し、遂には棄教者となります。
強いミスティシズムを持った無神論者は「神の不在」を認めつつ、神的存在を求めます。1937年に聖なるものの社会学を求めて、ミシェル・レリス、ロジェ・カイヨワと共に「コレージュ・ド・ソシオロジー」(社会学研究会)を立ち上げます。「新しい神は、夜の暗い混沌の中で、死に直面することによって現前する」という思想は信仰と実存の整合性を追い求めます。この組織に加入していた岡本太郎はバタイユの強烈な個性による思想に強く惹かれていました。
第二次世界大戦争が勃発する1939年までコレージュ・ド・ソシオロジーは活動を続けます。政治、宗教、学問、芸術を実存主義に基づいて多角的に見定め、「信仰と生死」について考えを突き詰めていきます。
戦後のバタイユは時代の潮流に逆らうかのように、最盛期がすでに過ぎていたシュルレアリスム運動に関心を抱きます。知的から詩的へと移行しようとする運動は「知の放棄」とも言えます。この詩的感情、詩的表現を「実存主義」と「シュルレアリスム」の差異として認め、そこに直接的な実存から離れた抽象的な裸の信仰心を見出します。では「信仰の対象」とは何か、という生来付き纏い続けるこの疑問はやがて「non-savoir」《無-知》という概念を生み出します。
1950年に出版された本作『C神父』(蠱惑の夜)は《無-知》への羨望が込められています。世に根付いていたカトリック信仰社会では正しくあろうとする姿勢を求められます。それは「神」の存在を絶対条件とした生き方で「生きる理由」を強制されます。この考えは精神を固くさせ、精神の自由からかけ離れていきます。バタイユはダダイズム、シュルレアリスムなどの根本である《知》の破壊、《知》の脱出を用いて、「強制された生きる理由」からの脱却を図ります。ニーチェ『ツァラトゥストラ』に含まれる逆転論は、普遍的な人間の「生きる理由」を明示していました。
神父ロベールの行動は「信仰力の強い神の否定者」と言え、神の不在を理解しながらも神に仕えなければならないという矛盾を孕んでいます。聖職を全うしながらも職務の不毛さを感じる虚無感に、戒律を重んじ欲を抑える力が減退していきます。双子のシャルルは正反対とも言える欲望に忠実な生き方をしながらも、不道徳による苦しみから死を渇望するに至ります。二人の苦悩は発端こそ対照的な位置にあるものの、同種の「生きる苦悩」を抱きます。バタイユ作品に頻繁に現れる語「angoisse」(苦悩、苦悶)は神の不在から沸き起こる感情として表され、《知》の崩壊による解放を次第に望み始めます。
ロベールはこの解放を「神との同一化」により心を保とうと試みます。神が存在した場合に神が感ずるであろう感覚を得んがために、自身を神と重ね合わせ、自身の不道徳な行動を正当化します。この歪んだミスティシズムがシャルルを更なる苦悩へ導きます。
「死はある意味ではひとつの瞞着である」と『内的体験』で語るバタイユは、他者の死さえも演劇的な自身の死の擬似体験に過ぎないと考えを述べます。死を悼む感情は、自身が決して遭遇することのできない代替の感動として心を打つという思考です。
「神の死」を理解した神父ロベールが、「神との同一化」を図ったことにより、苦悩から逃れようとした結果、明確な「死」を前にするという悲劇に至ります。
「神の死」は「人の死」の意味を変えました。現世、来世という概念は逃避的思考として区分けされ、現在を生きる重要さを教えました。しかし「神のため」を生きる理由としていた人々は苦悩を強く抱きます。
バタイユは「生きる理由」を妻ロールの遺稿から読み取ります。初めて出会った日から彼女の美しさ、透明感にのめり込み「愛の存在」を感じます。瞬きとともに消えてしまいかねない強い輝きを、彼は消えてなくなる気がする恐怖と表します。その予感は的中し、ロールは四日間にわたる苦しみとともに先立って亡くなりました。
「生きる理由」は「愛の存在」に結びつきます。それは神への愛ではなく、自身の「裸体の心」です。飾りを取り去り、虚栄を取り去り、信仰を取り去り、純粋な自身の「愛」に正直であること。ここにニーチェの問い掛けに対する答えが浮かび上がります。
自身の人生は自分のためにあり、死から目を背けず、だからこそ強い意志で生を全うする。心と愛と生の繋がりを改めて考えさせられました。『C神父』は少し入手が困難かもしれませんが、機会があればぜひ読んでみてください。
では。
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