『リチャード三世』ウィリアム・シェイクスピア 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
1339〜1453年まで続いたプランタジネット家(イギリス)とヴァロワ家(フランス)によるフランス王位をめぐる実質的な領地争い「百年戦争」。この両諸侯による長い争いは、両国において封建領主の没落をもたらし、結果的に王権が強化されることになりました。国王のもとで統一的な国家機構(絶対王政)を構築し、主権国家となって領地と国民が紐付けられました。ここから封建社会は衰退し、近代主権国家へと移行していきます。この「百年戦争」を終えたイギリスでは、英国王位をめぐる封建貴族同士の激しい争いが起こります。「赤薔薇」の家紋を持つランカスター家と、「白薔薇」の家紋を持つヨーク家によって争われた「薔薇戦争」です。
百年戦争の英雄「黒太子」ことエドワード三世皇太子の血脈にあるプランタジネット家は、百年戦争において対フランスの戦況が苦しくなるなか、農民による反乱(ワット・タイラーの乱)を受けると、より早く方針決議を行うために王の決定を優先しようと国の議会を無視して行動し始めます。このリチャード二世の振舞いを、議会に参加していた聖職者の権威、大貴族たちは不満として反旗を翻し、挙兵して内戦にまで至ります。すると、反乱を中心的に率いたランカスター家ヘンリーをリチャード二世は国外追放します。しかしヘンリーに同調していた大貴族たちはこれを助けて、イングランドへさらに攻め込み、リチャード二世をロンドン塔へと幽閉して、議会は王位を廃位とし、ランカスター朝のヘンリー四世として彼を即位しました。ランカスター家はその後も子孫が継ぎ、ヘンリー五世は百年戦争後半のアジャンクールの戦いで勝利するなど勢いそのままに繁栄を見せましたが、彼が病死すると王家の結束は緩み、さらにジャンヌ・ダルクの登場でイギリス側は劣勢となり、長い百年戦争は終わりを迎えます。
イギリス国内ではランカスター家への支持が衰退に合わせて、その「正統性」に疑問視を持たれます。ヘンリー四世は当時の王リチャード二世から王位を簒奪したのであり、王位に相応しくないという声が高まりました。当時のヘンリー六世はこれらの批判と百年戦争での疲弊で精神をきたし、我が子さえも認識できない状況に陥ります。ここにランカスター家と同等の正統性を持つヨーク家のリチャードが攻勢をかけました。数年間の戦いのうちでリチャードは戦死しますが、その子エドワードは大貴族ウォーリク伯の支援を受けて弔い合戦を果たし、他の貴族たちからも支持されてヨーク朝エドワード四世として即位しました。前王妃マーガレット(ヘンリー六世の妻)は立場を追われるとフランスへ渡りルイ十一世を頼ります。(百年戦争は国同士の争いではなく貴族諸侯による王権争いであったため関係が良好な英仏諸侯も存在していました。)支援を得たマーガレットは、エドワード四世と仲違いをしたウォーリク伯を味方に付けてイングランドに進軍しました。そして、エドワード四世を追いやり、ヘンリー六世を復位させることに成功しました。追撃を逃れたエドワード四世は、ルイ十一世と対立していたブルゴーニュ公を味方にし、イングランド内の大貴族と国民の支持を得て、再び攻勢をかけてヘンリー六世をロンドン塔へ幽閉します。これによりヨーク家が改めて王位を守り、勢力を維持することになりました。
エドワード四世が亡くなり、世継ぎの若き五世へと王位を継承すると、叔父である護国卿グロスター公リチャードが内紛を起こし、エドワード五世をロンドン塔へ幽閉すると、王位継承の可能性があるものを次々と殺害し、遂には王位までも簒奪してリチャード三世として君臨します。これに怒りを抱いた貴族諸侯はランカスター家の縁者であるテューダー家ヘンリーを支持し、暴君リチャード三世へと対抗します。ウェールズなどからも支援を受けたヘンリーは、ボズワースの戦いにてリチャード三世を撃ち破り、テューダー朝を開いてヘンリー七世として即位しました。その後、ヘンリー七世はヨーク家のエリザベスと正式に結ばれて、王権をめぐる血みどろの「薔薇戦争」は終わりを迎えました。
本作はこの暴君リチャード三世を中心に描いた作品です。シェイクスピアがごく初期に執筆した作品であり、初めて史劇に中心人物を据えた作品です。初期ということで後に得られる絶対的なエリザベス女王からの信頼は未だ得られていなかったため、血脈を良く描くためにヘンリー七世を天へと昇華し、対するリチャード三世を地獄へ貶めようとして描いたという意図が無かった訳ではありません。しかし、それ以上に本作『リチャード三世』には、深い文芸性が込められています。
醜い姿に醜い心、そして放つ悪意の辿る結果を嗅ぎ取る鋭い嗅覚を持つリチャード三世。彼は悪意の塊となり、自らに王権を握らせるため、手段を選ばず王位継承の可能性がある人物を排除していきます。時には甘言を弄し、時には容赦なく親族を斬り捨てる、目的遂行を一貫した悪の意志は自らをも演じるように立ち回り、他者を次々と屠っていきます。冒頭の彼の台詞はこれからの生き様を宣言しています。
薔薇戦争、或いは百年戦争も含め、王権をめぐる争いは裏切りと逆襲と報復が繰り返されました。封建領主たちの身の翻し、優勢な側への掌返しは、この長い戦争で数多見られました。リチャード三世がこれらの出来事から「悪意が勝利をもたらす」という考えに至ったことは、目的と野心を合わせると至極当然な結果とも言えます。そしてそれらを淘汰するほどの徹底ぶりを目指した結果、彼は「絶対悪」が最も力を得られると結論付けたことにも納得できます。そして彼に迷いが無いことも、彼の台詞から見てとることができます。
自分だけは運命の手から逃れ、自分の運命さえも自由にできると思っていた彼が、最後に訪れる自己の運命的な破滅に襲われる様は、実に悲劇的な皮肉に満ちています。
また、本作『リチャード三世』は、四大悲劇『マクベス』と対照的な側面を持っています。共に王位簒奪の野心を描いたものですが、マクベスは占い師の妖婆に運命を植え付けられ、マクベス夫人に甘さと優しさを追いやられ、心底では望んでいない手法で王位を手にします。マクベス自身、与えられた運命に翻弄され、傀儡のように意志が存在しないなか、手に血を染める様は、悲痛な心情さえ吐露しています。それに対してリチャード三世は、前述のように「自身が王位を望み、自身をより高みへと導きたいという欲」を持ち、王位簒奪を確固たる悪意と貫く意志を持って遂行します。決定的に違う根源は、マクベスは「運命を求めていた」ことであり、リチャード三世は「運命を作り上げようとした」ことである、と言えます。
リチャード三世の言動からは、真の意味での利己主義性は感じられにくいと言えます。王権を握った後も彼は彼自身の強欲を抑えられません。原動力となっている「絶対悪」のエネルギーは身中に溢れ続け、悪意を吐き出さなければ収まりがつかないという精神さえ見えてきます。彼は具体的な欲望を満たしたいという考えよりも、野生的に溢れる悪意を満たすことが目的となっていきます。これは彼の冒頭の宣言にある覚悟の代物であると言え、貫き続けて生きることを体現した結果であるとも考えられます。しかし、自分の野心からの欲望である王権を握ると、途端に言動が変化します。今まで目的のために自身さえも演者となり、策に弄した演劇性を見せていた狡猾さは消え、直接的な欲望を臣下へ指示し始めます。ここにこそ、野生的に溢れる悪意を抑えきれなくなっている描写として感じられます。
2012年にリチャード三世の遺骨が発掘されました。史実だけでなく、シェイクスピアをはじめとする作家による彼の描写は強欲な暴君として描かれることが多いです。リチャード三世教会(The Richard Ⅲ Society)では、薔薇戦争終結により王権を握ったテューダー朝によるプロパガンダで悪辣な印象を与えられたのではないか、と考えて研究が続けられています。彼の真の性格や言動を追求することは非常に困難ではありますが、貫く強い意志を持っていたことは史実からも浮かび上がってくるように思えます。非常に読みやすく楽しみやすい本作『リチャード三世』。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?