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『孤独な散歩者の夢想』ジャン=ジャック・ルソー 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

十八世紀以降の文学と哲学はルソーの影響を無視しては考えられない。しかし彼の晩年はまったく孤独であった。人生の長い路のはずれに来て、この孤独な散歩者は立ちどまる。彼はうしろを振返り、また目前にせまる暗闇のほうに眼をやる。そして左右にひらけている美しい夕暮れの景色に眺めいる。ーー自由な想念の世界で、自らの生涯を省みながら、断片的につづった十の哲学的な夢想。

十六世紀末にフランスで創始されたブルボン朝による絶対王政は、旧封建社会(アンシャン・レジーム)によって大多数の国民を圧政によって締め付けていました。第一身分の聖職者、第二身分の貴族は、国民のほとんどを占める第三身分の市民たちへ異常な額の税負担を課して豊かな生活を維持していました。王朝を成立させたアンリ四世の孫である「太陽王」ルイ十四世は、自ら王権神授説を唱え、貴族達を囲い込んで強固な絶対王政を確立します。ヴェルサイユ宮殿を豪華絢爛に改築し、貴族サロンを広めて文化の進展に貢献しましたが、それらを支えた豊かな財源は市民から得た異常な徴税でした。さらに、国益増大と権威拡大を求めたイギリス、アメリカとの植民地争いが激しくなり始めると、必要になる軍需が増加して税負担をより辛いものへとさせていきました。

ちょうど、香料パンを売っている者があった。一行中の一青年が、急に思いついて、それを買うと、群衆の上に一つずつ投げたものだ。すると、それを拾おうと、居合せた田舎者どもがわれ先に飛びついたり、もがいたり、ひっくりかえったりする。それが実に愉快なので、他の人たちもみな自分でやって、この愉快を味わおうとする。香料パンは右に左に飛ぶ。すると、男の子や女の子が駆け寄り、重なりあい、怪我をする。それが見る人たちには魅力的らしい。僕は内心では、彼らほどにおもしろくはなかったが、やらないのは気恥ずかしいから、他の人たちのようにやることはやった。しかしほどなく、人々に怪我をさせるために自分の財布を空にすることがいやになり、この上流人士をすてて、一人で市の中をぶらついてみた。

第三身分の人々は苦しい生活から光を求めるようにヴォルテールやシャルル・ド・モンテスキューなどの思想家たちに傾倒していきます。そして、今作の著者ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)もそのなかの一人です。

当時のプロテスタントによる都市共和国ジュネーヴ(現スイス)で、市民のなかでは中間層にあたる時計職人のもとで生を受けました。母を生後すぐに亡くし、自らも病弱な幼少期を過ごします。穏和な父と共に読書を愛し、早い段階で複雑な書物を読解できるようになりました。しかし、父があらぬ嫌疑を貴族層の軍人にかけられてジュネーヴを追放されました。ルソーは叔父に預けられ転々と寄宿生活を送りますが、先々で虐待を受けることになり、読書に逃避するも耐え切れず、サルディーニャ王国のトリノ(現イタリア)へと旅立ちました。行く先もないままにカトリック司祭のもとへ訪れると、「生きるためには女性を頼らねばならない」と助言を受け、幸いなことに、落ち着き先までも計らってくれました。そうして出会った人は、以後のルソーを保護者として、愛人として、人生の足掛かりを支えてくれたヴァランス夫人でした。

ルソーは音楽を愛していました。その愛情を持った音楽研究から数字を用いた記譜法を考案し、これを世に出して富と名声を得ようと蜂起して、フランスのパリへと赴きます。『新しい音符の表記に関する試案』を発表すると一定の賛辞を得ることができましたが、要職を得るには至らず、結果的に音楽教師として生計を立てる必要に迫られます。しかし、その甲斐あって貴族サロンに出入りすることが叶い、ドゥニ・ディドロ、ヴォルテールなどと面識を持つことができました。こうして思想家たちとの交流が少しずつ始まり、ルソー自身の思想を確立していきます。

「人間は生まれつきよい者であること、人間が悪くなるのはその制度のためであること」

ルソーが直感的に仮定したこの考えは、彼の思想の根底に在り続けました。1750年に雑誌「メルキュール・ド・フランス」に掲出されたディジョン科学アカデミーの懸賞論文募集広告に目を止めて、立ち上がれぬほどの衝撃を受けます。「学問及び芸術の進歩は道徳を向上させたか、あるいは腐敗させたか」という題目に閃きを覚えて、脳内で思想が一気に構築されました。『ファブリキウスの弁論』を提出すると、溢れ出る思想を留めず、『学問芸術論』を発表して世の思想家の一員と認められるに至りました。1753年に同懸賞論文へ提出した『人間不平等起源論』は、自然を主として捉えた文明批判であり、ルソーの大作として現在でも読み続けられています。ルソーが名声を勝ち得るのと足並みを合わせて『百科全書』への寄稿も行うことになりました。前述のディドロとジャン・ル・ロン・ダランベールが中心となって知識の体系化を図ったもので、思想家による寄稿を編集した辞書のことです。しかし、1775年のリスボン大震災が発生した際にヴォルテールが発表した『リスボンの災厄に関する詩』を受けて、ルソーが否定的な見解を述べたことで関係は決裂、百科全書派との交流は敵対へと変化しました。このことにより、フランスのサロンから距離を置くようになったルソーは、百科全書派からの誹謗中傷を受け続けながらも、社会契約を礎にしたトマス・ホッブスを肯定した政治哲学を形成していきます。

集大成とも言える彼の著作『社会契約論』(民約論)が1762年に発表されました。「国民の自由・平等の保障のため契約を結んで作られた共同体が国家である」という思想を凝縮したもので、人々は自分自身と財産を守るために、道徳に基づいた社会的協力によって利益を保証され、個人に求められる行為や義務を受け入れることによって、人々は互いに自由を尊重した社会を築くという考え方です。ホッブス、ジョン・ロックと同様に社会契約を基板においた哲学ですが、ルソーのそれは人間の自然体は善であることが前提とされ、真の人間の自由と平等を説いています。

すべての人々の最大の善は、あらゆる立法の体系の究極目的であるべきだが、それが正確には、何から成りたっているかをたずねるなら、われわれは、それが二つの主要な目的、すなわち自由と平等とに帰することを見出すであろう。自由ーーなぜなら、あらゆる個別的な従属は、それだけ国家という〔政治〕体から力がそがれることを意味するから。平等ーーなぜなら、自由はそれを欠いては持続できないから。

『社会契約論』

この著作は王権神授説の否定、そして当時の王政の否定を明言していることで反感を買い、ルソーは国を追われる立場となりました。併せて同時期に著した独自の教育論『エミール』も、神を合理的に見た「理神論」を持って描いたためにカトリック教会を敵にまわし、彼の全著作を焚書、ルソー自身への逮捕が指示されました。

国王、教会、貴族、フランスの社会において力を持つ悉くの人々を敵にまわしたルソーは、只管に逃亡生活を繰り広げます。スイス、プロイセン王国、サン=ピエール島、イギリス、次々に迫り来る追手を振り払うように亡命生活を過ごします。書簡を用いて追い討ちを続けるヴォルテールへの憎悪、仲違いに終わったディドロへの回想、ヴァランス夫人への愛情と死の哀しみ、質の違う激しい様々な感情と、逃亡による焦燥でルソーは身も心も疲れ果てることになりました。その極限の心情は或る境地に辿り着きます。それは、自身を包む自由と幸福の感情でした。孤立無援であるからこそ、人間の真の自然体となり、真の自由と幸福を得たのでした。この感情の変遷と、自由と幸福の境地を記したものが本作『孤独な散歩者の夢想』です。

この作品は、自然に溢れる田園地帯で植物観察をするために行った幾度かの散歩に基づいて書かれています。自然に囲まれ、俗世界の外にあるこの平穏な環境から癒されることにより、彼は自分が苛まれていた他者からの強迫観念や追手の不安から意識を遠ざけることができました。道徳を重んじた精神的な生活は、人間の自然体として存在することの喜びを見出し、自然の一部、つまり地球に存在する生物の一部としての認識を強めます。そして、俗社会に依存しない生の純粋な幸福を得ることができました。彼は、自己と自然の同一性、そして想像力によって主観性を固持し、現社会からの腐敗から身を守ろうとする自己愛を堅持します。本来的な意味での「孤独」が自由と平等を体現したと言えます。

魂が安立の地盤を見いだして、そこに完全にいこい、そこにその全存在を集中することができて、過去を想起する必要もなく、未来に蚕食する必要もない状態、魂にとって時間が無に等しい状態、現在が永久に持続しつつ、しかもその持続を標示することなく、何らその持続の痕跡も止めることなく、欠乏感も享有感もなく、苦楽の感覚、欲望危懼の感覚もなく、ただあるのは、われわれの存在しているという感覚だけ、そして、この感覚が全存在を満たしうるような状態がつづくかぎり、そこに見いだされるものこそ、幸福と呼ばれうるのである。

また、本作はルソーの持つ音楽的感性が活かされており、後世に隆盛するロマン主義の創始的作品とされています。散歩中の思考は目の前の景色や出来事から空想を豊かに描かれて、詩的感情に溢れています。

この水の満干、水の持続した、だが間をおいて膨張する音が、僕の目と耳を撓まず打っては、僕の裡にあって、夢想が消してゆく内的活動の埋め合せをしてくれる。そして、僕が存在していることを、心地よく感じさせてくれるので、わざわざ考えなくてもいい。水の面を見ると、それから連想して、うつし世の無情を思う念が、ふと、かすかに浮んでくることもある。

ルソーの死より十年後、フランス革命によって生まれた国民議会は、フランス人権宣言を議決しました。

人間は生まれながらにして自由であり権利において平等である

フランス人権宣言第一条

彼の思想は、虐げられていた第三身分の人々の心に届き、革命の火を灯しました。圧政の上で神を盾に暴威を奮っていた王権、そしてカトリック教会の結託は革命によって瓦解します。本質的な人間の自由と平等は、一歩ずつ体現し始めました。その後、フランス革命における根源思想の提唱者として理解されたことで名声を得て、1794年には彼の遺骸がフランスの偉人たちを祀る霊廟パンテオンに移葬されました。

わたしの誤りをルソーが訂正してくれた。目をくらます優越感は消え失せ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ。

イマヌエル・カント『美と崇高の感情に関する観察』

フランス革命だけでなく、その後の政治哲学へ影響を与え続けるルソー。誰よりも人間を愛して、人間を信じた彼だからこそ、辿り着くことができた人間の自然体の境地は、今もなお自由と平等を尊重し続ける世界で、重要な思想として生き続けています。文体も複雑ではなく、美しい情景を思い描きながら読み進めることができる本作。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。


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