『ジュリアス・シーザー』ウィリアム・シェイクスピア 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
プルターク英雄伝を概ねの種本として描かれた本作『ジュリアス・シーザー』は、シェイクスピアにとって絶頂期に差し掛かろうとする成長著しい時期に執筆されました。『空騒ぎ』『十二夜』などの喜劇、『ヘンリー四世』『ヘンリー五世』といった史劇を生み出していたなか、浮かび上がるこの悲劇は特徴的な立ち位置と言えます。喜劇でありながら強く浮かび上がった悲劇性を持つ『ヴェニスの商人』以来、シェイクスピアは悲劇の舞台を探し続けていました。彼はどこまでも歴史を遡り、古代ローマ史劇へと辿り着きます。公人たちによる政治と戦争が綴られた英雄伝の悲劇を、シェイクスピアの芸術性が取り込みます。
本作よりシェイクスピアの持つ作品の色調に変化が見え始めます。『ハムレット』と同様に、哲学的な苦悩に悩まされる登場人物が巻き起こす悲劇として、より深みのある、端的ではない作品となっていきます。ローマ史劇であるが為か、道化もなく笑いも無い、猥雑な台詞回しなどひとつもない非常に堅い印象の劇作です。だからこそ、重厚さや痛恨さが際立ち、ごく生真面目な悲劇たらしめていると言えます。そして、劇の内外での関心は公事(政治権力や名声)にあることが影響し、政治劇としての特性が前面に強調されています。
しかしながら、本作は劇的な色彩を帯びたドラマ性をもって描かれています。ここにシェイクスピアの天才性が含まれています。単純な史劇を描くだけではなく、登場する人物たちに「強く生々しい個性」を備えさせました。つまり公人を私人として描いたことで、生真面目でありながら情感豊かな政治劇が完成しました。
紀元前に栄えた共和制ローマの末期、ガリア地区征服の長い戦争を指揮し、領土拡大と平定に最も貢献した英雄ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)。彼はローマ内外を知力と武力によって支配し、民衆より絶大な支持を得て共和制から独裁制への変革を目指します。拡大されたローマの統治は、権力を集中した独裁制が最も効果的であると考えた為でした。これを危惧した共和制主義者たちは、シーザーの描く目論見を阻止しようと暗殺を企てます。英雄への妬みを持つ暗殺の発案者キャシアスは、シーザーが最も信頼を寄せている執政官ブルータスを、民衆の為であると言葉巧みに説き伏せて首謀者へと祭り上げました。占い師はシーザーへ「氣をつけるがよい、三月十五日を。」という予言をもとに注意を促しますが、英雄はそのような恐れを抱くものではないという態度で、貴重な進言を一蹴します。その後に家族の悪夢の話に耳を傾けて、やはり外出は控えようとしたシーザーでしたが、暗殺者の一味に迎えに来られ、議事堂へ向かうことになりました。思い悩んでいたブルータスも、この暗殺はローマの自由を取り戻す聖なる儀式だという、キャシアスの言葉に後押しされて決行に及びます。シーザーは、取り巻く多くの人間に、次から次へと剣で突き刺されます。謀反を理解した死の淵にあるシーザーが最後に見たひと突きはブルータスによるものでした。
今回の事態をローマの民衆へブルータスが説明する演説を行おうとしますが、シーザーの腹心であったアントニーは死を悼む演説を行いと願い出ます。暗殺の非難をしないことを条件にブルータスはこれを許可します。ブルータスの演説はローマの為の行いであることが強調され、正義と自由が守られたことを民衆は理解します。しかしながら、その直後に行われたアントニーの演説では、言葉の魔術とも言える韻律を帯びた詩的な哀惜の弁が、民衆へ実に醜い決行がなされたことを改めて理解させます。これにより怒りを覚えた民衆は暴動を起こし、暗殺の実行者らをローマから追い出しました。
暴徒から逃れたキャシアスとブルータスは、ローマでの実権を取り戻そうと、アントニーたちのもとへ攻め入ることを考えて準備を進めます。その際、ブルータスの野営の天幕にシーザーの亡霊が現れ、「フィリッピの野で會はう」と預言めいた言葉を残します。不吉な予感を覚えるキャシアスとブルータスは激しい口論を交わしますが、和解して励まし、アントニー軍との戦闘へ向かいます。フィリッピの野ではキャシアス軍が優勢に戦を進めていましたが、キャシアスは誤報により敗北と伝えられ、絶望に耐えきれず自害します。士気を失ったキャシアス軍は忽ち劣勢となり、ブルータス軍も敗北濃厚となりました。シーザーへの鎮魂の念を語りながら、ブルータスも死を選びます。その遺骸を前にアントニーはブルータスの公明正大な心を讃えて幕は下ります。
ブルータスとキャシアスの激しい口論では、私人としての表現が余す所なく描かれ、人間性や感情の揺れが強く伝えられています。ブルータスの高潔な自尊心に芽生え始める利己心は、あくまでローマの為であり、ローマの民衆の為に抱かれます。また、戦況により追い詰められるブルータスの感情は、シーザーの亡霊が発する言葉で煽られ、死への道へと只管に進まなければならなくなります。そして、ブルータスを破滅に導く、ブルータスの公明正大な性格が招いたアントニーへの寛大さと正義は、物語において最も強い皮肉として受け止められます。
善意の士は他者の善意を信じるという言葉のように、ブルータスの高潔さは、その思考と行動によって随所に認められます。
殺される瞬間にさえもシーザーに肯定させるほどのブルータスの高潔さは、いかにシーザーがブルータスに腹心を抱いていたかを表しています。私利私欲による狡猾や権力を求めないブルータスと、権力を手にしてそのような心が芽生えていくアントニーは、実に対比的に描かれています。二人の演説だけでなく、物語は終始一貫、交わることなくこの二人は歩み続けます。そして最後の一点で、アントニーの言葉が物語ります。
前述したように、シェイクスピアはブルータスという人物の内に、後に続く悲劇時代に貫かれる核となる要素を凝縮しています。高潔な正義の心が根底にあり、土地や民衆、名声や立場を理解して、その為に血を流しながらも策謀を成し遂げるという「純真が故の苦悩の士」をアイロニックに描いています。四大悲劇を含めたこれからの悲劇群は、本作を発端として生み出されていったとも考えられます。
批評家ロバート・シャープの語るように、ブルータスの懊悩は公人と私人の狭間に存在しています。史実だけを見れば権力を強奪した集団の筆頭という側面しか見えてきません。しかし、私人としての感情の揺れを深く描くことで、ブルータスという人間に「善意の士」としての存在感を植え付けます。それはシーザーの最期の言葉、アントニーの言う「公明正大の士」、これらを裏付ける性格を浮き上がらせてきます。だからこそ抱く懊悩は、ブルータスの最期の言葉でより強く印象付けられています。
シーザーへの憎悪など持たなかった暗殺首謀者は、自身の持つ正義感に自身の起こした行動を責め続けられていました。そして死をもって、ようやくブルータスの魂に真の平穏が訪れました。
本作では「皮肉」が随所に散りばめられています。なかでも見事なものは、シーザーが占い師の言葉と荒れ狂う嵐による不吉な予兆を見抜けなかったことに呼応する、キャシアスの受けた誤報です。優勢に戦を進めていたキャシアスが、自軍の誤った敗色濃厚という情報により、状況を確かめもせずに絶望感に包まれて自害します。この心理は、戦の前にキャシアスが感じ取った不吉な予兆を拭いきれなかったが為に、劣勢という情報を「予兆が的中した」という思考へ流された為だと言えます。予兆を払拭したシーザー、予兆を信じ込んだキャシアス、双方ともに破滅へ導かれるという不幸は、実にアイロニックです。
シェイクスピア作品のなかでも重く陰鬱な作品の印象ですが、そこに含まれる天才的な芸術性は読む者を強く引き込みます。実に有名な場面や台詞も、理解を深めると作品から受け取る印象も変わってきます。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。
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