精神疾患の人をナナメからみて【エッセイ】

 精神疾患になっている人は世の中にいる
 そんな必然的で当然でごくごく当たり前すぎることなのだけれど、それを気づいてない人がいる。もしくは気づいてないふりをしている人たちが、いる。

 話が変わるが精神疾患なんて自分が持ってるなんてことは認めたくないことで、その感覚は小学生のとき○○菌とか残酷な行いをおもいだすからだろうか。精神疾患というラベルが社会的に不利に働くことが多いという実利的な側面からだろうか。

 精神疾患なんて誰でも持つ可能性がある。
 僕は定期的に攻撃的になる、いつもならイライラしなかったことがイライラするようになり人間関係をすべて壊してみたくなるそんな瞬間がある。
 僕は病院に行った事はないし自分を精神病なんだと思うことはないけれど、でも先の話だけを聞いたら精神疾患を持っている思われるかもしれないし思われてもしかたないとも思う。

 でもこんなことが皆誰しもが自分の中で起こっていることなんだと思う。

 表に出さないだけでこの精神のおかしくなる現象はひどく一般的なことである。

 これを僕は一般的な精神疾患と呼ぶことにしたい。


 精神病を患っている人のことを面倒くさいとか嫌いな人がいる。病気の人をとやかくのは社会的にみて見え方が悪いから普通の人はそういうことを言わないことが多いように感じるが精神病や精神疾患について厳しいことが多いと感じる。

 これをなぜ何だろうと感じてある仮説を持ったので紹介したいと思う。

 まず1つ
 精神的な辛さというのは多かれ少なかれ誰もが経験していることで自分が我慢していることを精神がとかいう理由でなんかされるのが単純に納得のいかなさとウザさがあるから
 余談だが、
 精神病だから精神的に弱いから駄目なんですという言い訳をよく使う方はたいそう嫌われる可能性が高いと思う。理由は精神病だからというワードを使うことによって相手の言葉を黙殺してしまうからである。精神病とかに関わらず相手にだけ負担をしいてそれをよしとするのはごくごく当たり前に嫌われる。それをこの言い訳を使う人はナチュラルにしてしまう。
 
 次に2つ
 精神疾患というのは人間関係における生活習慣病というのを前提として精神病になったという人は生活習慣病的に考えると肥満な人といえる。
 精神疾患を肥満と置き換えて考えると肥満という言い訳ではだからなんだと、痩せろよと心のどこかで思ってしまうのは普通のことなのかもしれない。
 この考えだと太っている人が痩せるのの大変さと精神疾患の人が精神的によくなるのが大変さは同じことなのかもしれない。
 
 太っている人には動け、食べるな。
 精神疾患の人には動け、悩むな。
 としか言いようがないだろう。

 この考え方で精神病に対するこちら側がしてしまう対応には納得がいくような気がする。

 結論をいうならば
 太っているそれ自体が悪い事はそんなにない
 精神が弱いそれ自体が悪い事はそんなにない
 太っているから動けません休ませてください
 精神が弱いからやれません休ませてください
 はウザいというそういう話なのかもしれない。
 精神が弱いとか精神疾患を持ってるとかはやらないというためのマスターキーではないのだという認識は持っていたほうがいいのかもしれないと思った。
 
 そんなことを思っていけないから
 精神が弱いとかと言うのかもしれないとも



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