導火線に火をつけていた 【エッセイ】
誤解当然の話し合い
愉快判然の果し合い
展開に後悔の爽快に先輩の
星屑になっていた
未来にいる仇
ここらで躯に苦無突き刺し
頭に来ないそんなわらわに
戦闘機付きの自転車を片手に
ペーパードライバーどこ行くぜ
家に取り残された静寂と無情が
脆弱な自分を取り残していく
悪戦苦闘織り込み済みの関係が
終わり狂わす僕らの力
七転八倒貼り付け済みの万歳が
勇気培う周りの力
ここらで騒つく誰かの血飛沫
飛沫感染でここらで終わり
世の中とか世間がとか
もっというなら男だとか女だとか
大きな主語で語る人が多いこと
まぁ私もその一人なのですが
それが悪いことというのは何となく分かっていてもそうやってしまうのが可笑しい話だな
と思って
でもしょうがないともまた思ったのです
世の中とか言っている方が自分が正しいと思えるし思わせられるわけで
男とか女とか友達とか知り合いとか無能とか有能とかラベリングをして生きないと疲れるわけで
だからしょうがないと思うのです
だってあなたことに対して興味はないしアイツのことなど考えたくないしどう取り繕っても自分が大事で好きなわけで
だから興味を持ってくれる人だけを大事に生きればいいし興味を持たれるように生きればいい
ただそれだけなんじゃないでしょうか?
ただ仲間意識高い集団程排他的になるという事実はなんでなんでしょうか?
やっぱり大きな主語で語るのって悪くないんじゃないんですか
言うほど人を個別に見る価値ありますか?
そんなことでしょうがないと思う
今日でした
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