最初は誰もが初心者だった。 【短編小説】
初めては誰にでもあるもの
最初は誰もが初心者だった
そんな言葉を聞くたびに当たり前で何の意味もない言葉だと思ってしまいムカつきを覚えてしまうのは僕が初心者じゃなくなったからなのだろう。
初心者というお題目で挑戦のハードルが下がることはあるだろうしそしてその結果がいいことの方が多いことは僕も初心者ということで知っている。
昔はずいぶんそのお題目で失敗を許されてきたものである。
しかしある時からそのお題目が通じないことに気づきだす。失敗したら僕が初心者だってことも知らずに怒りだす人の存在がだんだんと増えてくるからだ。
失敗は悪いことだと僕らはそうやって学んでいく。
失敗は成功のもとだというどこぞで聞いた言葉が現実的ではない理想的でしかないということに直感的に気づきだし僕らは失敗を恐れだすのだ。
だから学校の先生が「失敗してもいいのよ。」
という言葉を発したときその言葉のなんたる欺瞞さに僕はほとほと呆れてしまう。
これは人間としての習熟がなってない証拠である。皆の前で怒りだす上司を感じ悪く見る人は多いだろうが僕はこの先生もまったく同じように見えたのである。
僕らは人間の熟練者になっている。
だから言葉だけ耳触りのいいことをいうそんな人間の言葉を額面通り受け取ることのない程度のものにはなっている。
僕の友達にこんな奴がいた。
僕はそいつのことを失敗ばかりで何にも出来ないやつだと思っていたが、特別な理由があるわけではないが気があって楽しかったのでそいつとはよくつるんで仲良くしていた。
またそいつが馬鹿やったときにそいつのことを軽くイジったとき
「でも、何もしないよりは楽しいだろう。」
というそいつの本当に楽しそうな顔を見たときこいつスゲーなと心の底から思った。
そいつとは今でも交流があるが、何か新しいことをするときはそいつと一緒にやるか、何をするか相談したりしている。まぁ大したことが聞けるとは思わないのだけれどそいつと話してるときは何か全てが初心者だったみたいな気持ちになれる。もしくは人間として習熟しすぎて初めてとかなんとかそんなくだらないことはどうでもいいことなんだと心の底から思えるのかもしれない。
僕は人間初心者、中級者、他人の失敗許せる上級者になれてきてるのかもしれない。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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