見出し画像

レズビアン恋愛映画『ウォーターメロン・ウーマン』(1996)で考えさせられた人種問題と恋愛、そしてマイクロアグレッション

今回は、1990年代に盛り上がったインディペンデンド・クィアシネマの代表的作品のひとつ、『The Watermelon Woman』(1996 Cheryl Dunye)を観て私なりに考えさせられたこと、またそこから発展して異人種間の恋愛に伴うモヤモヤについても綴ります。

レズビアンによるレズビアンのためのレズビアン映画

この映画は、アフリカン・アメリカンの女性 Cheryl Dunye(シェリル・デュニエ) が監督・脚本・編集・主演を務めた映画。監督自身が実名で出演しており、ドキュメンタリー風に構成された『フェイク・ドキュメンタリー』の製作スタイルが新鮮です。

公開後の評価としては、ベルリン国際映画祭テディ・ベア賞ほか、トリノ、ロサンゼルスなどのレズビアン・ゲイ映画祭で観客賞を受賞。日本では1997年に東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて初上映され、高評価を受けています。また、2020年6月19日のVanity Fair の記事では『 'The Watermelon Woman': The Enduring Cool of a Black Lesbian Classic 』と見出しが付き、カミングアウトしている黒人のレズビアン映画監督が初めて発表したの長編映画として歴史に名を刻んだ作品であると紹介されています。

2013〜2015年に映画学を学んでいた私にとっては、それこそクィア・シネマに関する文献で何度もこの映画の名前を目にしてきました。この点は『Go fish』と同様です。

アメリカのフィラデルフィアでフィルムメーカーとして活動するシェリル(監督と同名) は、1930年代にハリウッドで活躍した名無しの黒人女優の名前を突き止め、彼女のドキュメンタリーを製作しようとするところから映画のストーリーが始まります。シェリルはこの名無しの黒人女優を「ウォーターメロン・ウーマン」を名付け、彼女の消息を追っていきます。この名が映画のタイトルになっています。実際にはこの女優さんは実在しないのですが、実際にこういうことってあっただろうと容易に想像できるストーリー設定。黒人女性のフェミニズムを非常に意識した作品になっています。

そんなシェリルは昼間はレンタルビデオ店勤務。ストリーミングが登場していなかったティーン時代、レンタルビデオ店に通っていた映画好きの私には、なんともたまらない設定。そのビデオ店に来店し、おすすめの映画を聞いてきた白人女性、ダイアナと出会い、彼女との恋愛を通して自身のアイデンティティと向き合っていきます。

レズビアンによるレズビアンのためのレズビアンの恋愛を扱ったインデペンデント作品に、当時の私はとても勇気づけられました!

アメリカで生きるアフリカ系レズビアンが抱える葛藤


リアルなレズビアンの恋愛模様を黒人と白人カップルを通して描くことで、アメリカにおける人種問題にもかなり焦点を当てています。異人種間カップルの摩擦と葛藤というのは、2023年現在でもなかなか扱われていない非常にセンシティブなテーマではないでしょうか。この問題はレズビアン、ゲイ、またはヘテロ変わらずまだまだ乗り越えられていない問題だと感じます。映画ではないけど実在するカップルだと、英国王室のハリー王子とメーガン妃に対するイギリスの差別的報道(イギリスのタブロイド紙は本当にひどい)が記憶に新しいです。

相手役はGuinevere Turner (グィネヴィア・ターナー)

シェリルが恋に落ちた女性ダイアナを演じたのは、同時期に製作・公開されたレズビアン映画『Go Fish』でボーイッシュなマックスを演じた Guinevere Turner (グィネヴィア・ターナー)です。雰囲気が全く違う役柄ゆえに彼女の演技力が証明されたというか、ますます好きになりまりした。(その後、彼女は脚本家として活動、2000年代のアメリカドラマ『Lの世界』でもいくつか脚本を担当し、ちょい役で出演もしています。)

『Go Fish』(1994) の脚本・プロデュースを監督のRose Troche(ローズ・トロ―シュ)と共同で手掛け、主演Max 役も演じたグィネヴィア・ターナー。
ドラマ『Lの世界』シーズン1・2では計3エピソードの脚本を担当し、アリスの元恋人役ギャビーも演じていた。

20年以上経っても変わらぬ人種問題

BLACK LIVES MATTER 運動が高まった2020年、非常に興味深いと感じたのは異人種間の恋愛に対する偏見・問題が20年以上だったいまでも全く変わっていない点。黒人コミュニティで育ったシェリルが白人であるダイアナと付き合い始めたことで、それまでのバランスが崩れていきます。

ダイアナに惹かれつつも、「白人なんかと付き合ったら・・・それは自分たちのコミュニティを裏切ることになるのかも」と悩むシェリル。ダイアナと付き合い始めても、自信のなさから「ただ黒人と付き合ってみたかっただけなんでしょ」的なセリフをダイアナに言い放ってしまう。自分の「人種」にとても敏感になってしまう、この気持ち。異人種間の恋愛を経験したことのある方なら、一回は抱いたことがある気持ちなのではないでしょうか・・・。

そう単純ではない、異人種関の恋愛


私が日本に住んでいた2011年くらいまでは、外国人を恋愛対象として好む日本人のことをガイセン(外人専門)と呼んで揶揄する風潮はあったものの、そこまでポリコレ的に問題視されてはいなくて、単に好み(嗜好)の一種として受け取られていた気がします。でも自分が日本を出て、人種的にマイノリティになって、「日本人の子が好きなんだよね」って言う人に出会ったら、ちょっと「キモいな」って単純に思いました。私はイギリスでそういう雰囲気を持っている人(男性)に出会ったら、速やかに撤退してきました。
特定の人種を恋愛・または性的対象だと公言することって、単純に嗜好の問題ではなくて、その人の社会的・政治的リテラシーが問われるくらい、センシティブなトピックじゃないですか。その人が持っている社会的な人種ヒエラルキー(白人至上主義、イギリスを中心とする植民地主義的)、消費されている性的イメージ(ポルノで蔓延るひん曲がった日本人女性像)などなど、人種差別と絡めて考えなくてはならない案件だと気づきました。単に惚れたはれた、の話じゃないんです。

※脱線~
日本人限定じゃなくても、アジア系の女の子ばかりと恋愛している白人の男の子は、実際イギリスにいた。というか、私が通っていた大学で何人かいた。その中の1人、ドイツ人男子の餌食になってしまったのは、私のハウスメイトの女の子だった。最初はすごくラブラブだったのに付き合って1ヶ月くらいですぐ別れちゃって、ハウスメイトの子が落ち込んでいたのを見るのはすごく辛かったなぁ。

他にも日本のアニメカルチャーとか好きなイギリス人男子の友達がいつだったかFacebookで「人種を恋愛嗜好のカテゴリに入れるのはレイシズムだと否定的な見方をされるけれど、差別じゃなくて贔屓しているんだからそこまで批判されるのはちょっと心外だ」みたいな投稿をしていたのを覚えてる。私はその子とは友人として付き合っていたけど、ある日本人の女の子の友達は彼から地味にアプローチされていて困っている、と話していたな笑。

後は、日本語を学んでいたイギリス人男子の友人。(私は出会った時には既に既婚子持ち)。彼に最初の日本人の彼女が出来たときは彼はとても一途たっだけど色々あって別れて、で、次にできた彼女も日本人だったときは、あ、やっぱり君もそうなのか〜。と複雑な気持ちになった。まぁ日本語勉強してるとそうなっちゃうのは自然な流れなのかな?でも友人としてはめちゃくちゃ良い人!!だし今の彼女とはもう4,5年付き合ってる(と思う)から、最初に人種でフィルターかけてても、そこから真のパートナーシップを築けていける人なんだろうと思う。
特定の国籍や人種の人とばかり付き合っているからって、一概にジャッジすることはできないけど…けど、やっぱりね。特に長続きしないで色んな人と付き合ってる人を見るとなんか思うことはあるよね。

もちろん自分が好きなカルチャーに憧れがあって、好きなキャラクターに似てる感じの人が好きになるってのは、分からなくもない。けど、好意を向けられた方はそれが贔屓だろうが差別だろうか関係なくて「イギリス人」だから、「日本人」だからって人種や国籍で始めに判断されるのが何か気持ち悪い。この人、人の本質を見る目がないんだなって感じちゃいませんか?

日本や日本のカルチャーに対して好意的なコメントをくれる人は、ありがとうって単純に思う。でもそれをもっと個人的な恋愛やセクシュアリティーレベルでやられるのは不快だなーって私は思います。

マイクロアグレッションを分かり合えない?

我が家の場合。うちの夫に対して「私は日本人だから」「アジア人だから」と引け目を感じたり、不快に感じる扱いを受けたと感じたことは一度もないのですが、私が以前ティーンの男の子たちから受けたマイクロアグレッションに対する違和感、不公平感を話した際は、そのフラストレーションは理解できてなかった。こればっかりは、感覚としてわからないみたい。

それは彼が白人のイギリス人で、100%どこの国に行っても冷遇されてきた経験がない人だからなんだろう。

やっぱり、分からないんだ?!って悲しくなって、怒りの感情も湧き出てしまったけど、この悲しみ・怒りは彼個人にぶつけても仕方ない。この世界の人種構造がそうさせているんだ、って理解できるようになってからは気持ちの切り替えができるようになりましたけど。

でも、こういったセンシティブなトピックも包み隠さず話し合えるパートナーシップを築いていけないと、異人種間のパートナーシップを続けていくのは難しいなと思う。

まとめ

レズビアンの恋愛だけでなく、人種問題という極めてポリティカルなトピックについて問いかけてくれる『ウォーターメロン・ウーマン』。レズビアンラブが好きな人にはもちろんだけど、異性愛者カップルにも是非とも観てみて欲しい。

※この記事は、私が過去に別のブログサイトで公開した記事を加筆修正したものです。興味があれば。元記事はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?