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無意識のブレーキ

「アクセル」について今日は書く。
車についているあのアクセル。
バイクについているあのアクセル。
パソコンに入っているのは、あのエクセル。

とまぁ、今日もだじゃれでスタートしたのだけれど。アクセル。

人にもアクセルは備え付けられていて、その存在に意識的になった方が良いんじゃないかなあと思ったお話。
気持ち良くコミュニケーションがとれる時はアクセルを踏んでくれている感覚があるなぁ、と感じたのです。

例えば。
キャンプのお昼ごはんを決める時、
「こないだインスタで見た○○が美味しそうだったから食べよー!」
いいねー、とこたえる。
例えば商品開発会議
「そういえば、関係ないかもしれないけど流行りの○○って食べました?」
ああ、あれねー、と会議が進む。
例えばデート中
「あそこで写真とりたいね」
いいねー

とかとか。

ちょっと車の事を考えてみると、エンジンをかけてスピードにのる所までは大変です。初めはぐっとアクセルを踏み込まないといけない。「静」のものはいつまでたっても「静」。そこにエネルギーが与えられるから動くことができる。ある程度スピードが出れば、あとは一定の力を保つだけで楽に進んでくれますよね。

これが「みんなで何かをする」場、例えば話し合いの場で考えても似たようなことが言えそうで。
やっぱりうまく進みそうな雰囲気ができるまでが大変。ああでもない、こうでもない、といって、なんとなく場が滞る。重たい空気はどっしりと「こんなの当たり前でーす」という圧を強めていく。すると、なんかうまくいってない気持ちになってくる。
ブレーキは「守ること」といかにもイコールに見える。メリットが100でデメリットはないと。でもそんな完璧なものはないわけで、きちんとデメリットもある。
会議や話し合いだとどうだろう。なんか「0」にプラスして重たい空気ってのが漂うよね。沼にはまっていくような。沈んでいく引力が強まっていく。

でも誰もそんな場を望んでないじゃん。まぁ恨み辛みがあれば別だけど、みんなが気持ちよく協力してる方が居心地もいいしさ。
誰かがアクセル踏んでくれると楽よ。次の人にかかる負荷がかなり減る。うまくいく方向にエンジンが回りだしているから、ちょっと力を加えればさらに回る。回り出すともっと楽。
方向転換もしやすいし、Uターンもできる。

10分後のお互いの為になると思って、ブレーキに意識的になって、アクセルで調整する方法を身に付けよう。
爽やかなアクセルを目指して。

何事も練習。
事故ったら、みんなで笑い合おう(^-^)

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