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【生き苦しさの根本にあるものと、生きていくには】

フルリモートワンオペ二児育児の私に、精神科医が発したのは 
「あなたには、他愛無い会話が不足しているのかもね」
という言葉だった。

ならば、意味なく誰かと話してみよう、と思い至り、誕生日をきっかけに「私に誕生日プレゼントで1時間くれる人」を募ってみた。
(乗っかってくれた皆様、ありがとうございました!心から嬉しかったです。)

そのおかげで、双極症と診断されてから長いこと整理できないでいた、生き苦しさの根本のようなものが、じんわり見えてきた。

誰しも、やる気スイッチを入れる時があると思う。私も、何度も自分のやる気スイッチを押して、なかなか経験できないことをやや多めに経験して来て、今がある。

人生を後悔したことは一度もない。
でも、積極的に生きたいとも思って無いことが、わかってしまった。

それがとても恐怖だった。
疲れてた、とか、大変な時期だった、とか
確かにそう。めちゃくちゃ大変だった。
それを差し引いても、「その1週間」は大変だった時期を抜けて、幸せを感じまくっていた1週間だった。

苦しい期間をようやく抜けた、と思っていた。

そしたら、その次にやってきたのは
「こっちに来てもっと楽になりなよ」という声だった。

呼ばれる感じがする。
私は今、自分がおかしい気がする。

と、ある人に伝えて助けを求めるほど
幸せで楽しい日々の真横に死の気配があった。

結果、死ななかったけれども(笑)

私はあの時、いつ窓の外へ呼ばれてもおかしくなかった。死にたいなんて1ミリも思っていなくても、死のうとする自分が「別」にいる。
なんて怖い。なぜそんなことが自分に。その答えを探し続けた1年間だった。

死にたいなんて思ってない。
誰かこの気持ちをわかってほしい。
私は異常じゃない。

それらを身近な人に伝え続けた結果、(記憶が飛んでいるので後から教えられた結果)
私は3日ほどノンストップで訳のわからないことを喋り続けていたとわかった。
(詳しく説明しようとすると何年かかかりそうなほど、自分の頭の中では辻褄があっていたのだけれど、、いまだに信じてくれる人はいない)

それが、双極症(躁うつ病)の、躁が激しく出たバージョン。

そしてまた恐ろしいのが
その躁になっている期間というのは
脳がめちゃくちゃ気持ち良くなり、何でもできそうな万能感があり、マリオのスター状態で無双な感じで、とても心地よいのである。
だから、今なら空も飛べそうな気がする的な、「呼ばれる感じ」がするのだ。

あぁ怖い。もう2度とそうなりたくない。

そして冒頭に戻るのだが、
その「躁」が、私のやる気スイッチを押した状態で、
普通に生きていたら経験できなかった体験や出会いをもたらしてきたのもまた、私の人生の大事な要素だったりするから、厄介だ。

病気だから
発症しないように

と、躁状態抑えることはきっとできる。

ちょっと表現が難しいけど
それは、難しいチャレンジにやる気スイッチを入れて、しんどくても泣きながら耐えてやり抜いてきた過去の自分を、箱の中に閉じ込めてしまうような、悲しい「儀式」が必要だった。

生き苦しさの根本にあるものは
信じて、自分を築いてきた、と思っていたものが

それは病気のせいです。
幻想です。
妄想の一環です。

と、切り捨てられてしまうこと。

それは例え病気だとしても
もう二度と開かない箱だとしても
私は私であるために
この「箱」と生きていたい。

と、今は思っている。

いつか、この箱を手放す時が来るのだろうか。 
それとも、何年か後に箱を開けたら、良い感じに熟成して別の何かになっているのだろうか。

生きづらさの根本にある、過去の自分を否定されたような感覚、経験。

そこに囚われていたことが
「お誕生日おめでとう」の数々の言葉や行動で箱の中の私が救われた思いをさせてもらったのでした。

生きていくには辛いことも多い世の中だけど
自分を肯定してくれる人の存在が
手を伸ばせば、いる。全くの他人でもね。

この文章を読んでくれたアナタへ
あなたが今、生きていてくれて、私は嬉しいです。この気持ちを分かち合えたので。
ありがとう。


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