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フランスの皮肉なことわざ

 子どもの頃、おばあちゃんの家の和式トイレの壁に、細長いカレン ダー式のことわざの束がぶらさがっていた。説教臭くて、あまり好き ではなかった。「今日の仕事は明日までのばすな」の類であった。  お正月のいろはカルタのお蔭で、いろいろなことばを覚えた。花より 団子、年寄りの冷や水、泣きっ面にハチ、など。  これと重なるが、諺もたくさん学んだ。「馬の耳に念仏」「芸は身を助ける」「大は小を兼ねる」「猫に小判」「早起きは三文の得」「身から出た錆」「焼け石に水」「論より証拠」「笑う

    • カタカナ英語

       ホント? ウソ! マジで? これは英語ではないが、おそらく書くとカタカナになる日本語だろう。 「本当」は私が若いころ使われていた。「嘘」は今30代位の人たち が、かつて使用ていたようだ。そして「マジ」はかなり息が長く、 若者からおじさままで口にしている。男性は「マジっすか」とも言う。  これが気になっていたのだが、ついに決意して外国語と思って 練習した。そしてかなりうまいタイミングで、マジで?と合いの手 を入れたら、どうも評判がよくない。あなたの使う言葉ではない、と いう

      • 走 る

        ハッハッ、パタパタ。近所の公園の周りは、ジョギングにふさわ しいコースになっており、朝から人々が走っている。私がタラ タラ と駅に向かう道を歩いていると、おや、先ほどの二人組が すでに一周してきて、また出会ってしまう。 いかにも美しいフォームで走る体育会系の若者、ドタドタと音を たてるおじさま、女子校の生徒たちの登下校の群れを搔き 分ける男性。ご苦労様なことである。走る理由は――体力増強、 体重を減らす、クラブ活動の準備 … おそらく体操やスポーツというものは、明治時代から

        • 外国人であること

           最近、不法滞在という名のもとに、収容されていた若いスリラ ンカの女性が入管で亡くなった。他の人も収容されてハンストしたりと、 日本側のやり方にも色々問題があるようだ。  スリランカは、かつてセイロンと呼ばれ、日本では紅茶の産地 として有名だった。特に敗戦後、1951年のサンフランシス コ講和会議で、セイロンの大臣ジャヤワルダナ氏は「憎しみは 憎しみをもって報わず、愛をもって報いるべきである」という ブッダのことばを引用して、日本に対する戦時賠償請求を放棄し た。のちのスリ

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        記事

          お蕎麦屋のご主人

           数年前に、新しい友人ができた。立ち食い蕎麦屋のご主人である。きっかけはといえば、子ども食堂についての映画を観たことだった。私は以前より時間ができたから何かやりたいと思い、かつての仕事仲間の女性Hさんと食事して、相談をした。そして2人とも行きやすい場所にあるお寺で、子ども食堂を開いていることを知り、和尚さまに会いに行った。本の読み聞かせなど、ボランティアをしたいと頼み込んでみたら、ご快諾いただいた。  今度はもう一人探すことになり、Hさんの通う朗読教室のお仲間の男性Kさんと

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          1960年前後の米国テレビドラマ

          小学生の頃は、アメリカのテレビドラマが目白押しで、夜のひと 時は楽しかった。我が家には1950年代前半からテレビがあっ た。朝は決まった時間に始まり、夜は遅くはやっていなかったよ うだ。NHKは放映が終わる時か始まる時には、白いハト何羽かの 影が映るので、母によれば、私が不思議そうにテレビの裏側を 覗いていたそうである。 この文章を書くきっかけは、近所の本屋さんの店先で廉価な旧作 のDVDを売っていたからである。まず、喜劇のマルクス・ブラ ザース、、キートン、ロイド・・・。

          1960年前後の米国テレビドラマ

          教養とは

          近頃、「教養」という言葉のついた本を見かける。これ一冊で教養が身につく、など。しかし、それは「知識」であって教養ではないだろう。礼儀やマナーのある振る舞いを、ぎっしりリストにした本も手に取ったが、私には実行は到底無理で、もういいと思ってしまうし、だいたいもう遅い。まあその都度見るものなのだろうが。 辞書で見ると教養とは「学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること」。子供の頃の稽古事も含めて、いずれは教養ある大人へと導くものなのだろう。 私が小学生だった1960年前後

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          欧州での男女のかかわり

          皆さんは会社員や学生同士の食事会で、例えば10名前後の参加者 としたらどのような配置で座るだろうか。というのは我が社もかつ ては、気が付くと長い机の左側に女性、右側に男性という配置にな りやすかった。だから私は大体席順を前もって考え、男性と女性を なるべく交互に座るよう配分する。そして、社長の隣には怖いもの 知らず?の女性か、なかなかお話する機会のない人に坐ってもらう。 かつて、アフリカの敬愛するゲストとホテルの中を歩いていて、バー の脇を通りかかったら、彼が男性しかいない

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          待つ楽しみ

          現代はすっかり「欲求即解消型」ともいうべき社会になっているようだ。通販で洋服を注文すると、お届け日をきかれる。配達スタッフのせわしなさを思い、急ぎません、と返事しても翌日には到着したりする。 子どもの頃は、頼んだものがいつ届くかな、と楽しみにしていた。「小学〇 年生」といった付録つきの雑誌を、近所の本屋さんが自転車で定期的に 配達してくれていた。 海外留学の時は、国際電話は殆ど使わなかった。電話料金のせいというより、せっかく別世界に来ているのに、日本の現実を持ち込みたくな

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          ネパールに行く

          年末年始の海外旅行が私の慣習となったのは、1980年代だった。父に暇ができて、母をよく伴っていたのだが、ついに私が交代してお供をする羽目となった。年末の忙しさを振り切って出かけ、もどれば正月明けの仕事に復帰するのは結構大変だった。その第1弾がネパールだった。 宿はアンナプルナ・ホテルで、大きく立派だった。のどかだったが、帰国して半年後くいらいに、このホテルのロビーが左翼によって爆破されたと知り、訪問する国の背景は前もって調べておくべきだったと、反省した。 食事は香辛料の効

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          名前の書き方と発音

          わりあい最近のことだが、ある大臣がテレビで日本人名のアルファベット表記は、姓と名の順を変えないことにする、という話をしていた。賛成である。 私は留学後、仕事で冊子を作る場合、執筆者の名前にフリガナをつける代わりに、横文字を添えている。例えば、田中和子氏なら、TANAKA Kazukoとなる。以前フランスの電話帳では、ファミリーネーム、たとえばMARTINなら、それがMの項にずらりと並び、となりにABC順にファーストネームが並んでいた。MARTIN, Pierreという風に。

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          両親の介護

          父は87歳で亡くなった。元気のよい、大声の人だったが、80歳ころには体も弱り、食欲もなく、ついに肺炎で入院した。普通病棟から、救急病棟に移されるのに時間はかからなかった。あっという間に危篤となり、病院に呼び出されて家族でゆくと、父が、どうした?という。先生方が気管切開をするというので、仕方なく承諾。また来るね、と父に言うと、元気そうな声で?「アディオス!」。側の先生が驚いて、低酸素にお強いのですね。 父はそれから再度“出世”して、上階の普通病棟へ戻った。さらに退院までの数か

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          髪の形と色ーー白髪について

          小学校の時、私の髪はオカッパだった。恐らく、戦時中だった母の子供時代と同じで、後ろ側は刈り上げである。私は長い髪にあこがれていたが、許してもらえなかった。高校の頃はさすがに後ろ髪は伸ばしていたが、前から見るとあまり変わらない。 大学になると、同じような形でもパーマはかけてもらった。海外留学に行く前になって、髪を伸ばし始めた。というのは、向こうで美容院に行くと(東洋人の髪に慣れていないから)だめにされてしまうから、というアドバイスだった。 フランス滞在中は、こうして自分で長

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          お酒文化とお茶文化

          最近はなかなか、「飲みに行こう」と誘えない時代なので、うっぷんの溜まっている人も多いだろう。私はあまり飲めないので、ほとんど行かないが、夕食会だったら多少ビールやワインは飲む。昔と違って無理強いもされないので楽である。 かつて、知り合いのマスコミ関係者Mさんに、コーヒー百杯よりもお酒一杯の方が親しみが湧くと言われ、飲まない私は少々落胆した。その人とは仕事の折に、何回かコーヒーを一緒に飲んでいた・・・ あるとき、仕事仲間の男性から、ちよっと話したいことがあるから,お酒でもと

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          カナダ  英語圏とフランス語圏

          2010年代前半、カナダのトロントへ出張した。英語圏である。当時から、海外出張前はその国の治安とか、政治情勢が気になっていたが、数少ない安心できそうな国だったし、実際にそうだった。 私は欧米では主としてヨーロッパの国々を訪れていたから、移民の国は珍しかった。夜道を歩いても怖くないし、人々も親切だし、驚いたことにホテル受付の人やタクシーの運転手まで、カナダはいい国だとほめるのである。 ただ、時間が空いた時に観光バスに乗ったら、歴史的建造物の前で、これは 200年前とか、30

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          新刊本と古本

          私のよく乗り降りしていた駅改札の中に書店があり、手前に話題の本、売れそうな本を並べてある。お蔭でいろいろな本に出会った。 父の生前は、ヘンな本を持っていると怒られるし、私個人としてもベストセラーは皆が買うから、人の読まない本こそ募金をかねて買うぞ、と少々意地を張っていた。でもいまでは力みも取れ、在宅死とか、スマホの功罪とか、夫の扱い方といった内容の本を興味深く読んでいる。 引っ越しで思い切り本の数を減らし、残しておく必要のない本は人に譲ることにしている。ざんねんな生き物事

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