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1960年前後の米国テレビドラマ

小学生の頃は、アメリカのテレビドラマが目白押しで、夜のひと
時は楽しかった。我が家には1950年代前半からテレビがあっ
た。朝は決まった時間に始まり、夜は遅くはやっていなかったよ
うだ。NHKは放映が終わる時か始まる時には、白いハト何羽かの
影が映るので、母によれば、私が不思議そうにテレビの裏側を
覗いていたそうである。

この文章を書くきっかけは、近所の本屋さんの店先で廉価な旧作
のDVDを売っていたからである。まず、喜劇のマルクス・ブラ
ザース、、キートン、ロイド・・・。おどりのF.アステア、子供
の頃大好きだったテレビアニメの「トムとジェリー」などこのアニメは今見てもおもしろい !

そしてついに西部劇「拳銃無宿」(”Wanted Dead or Alive" 意味は
指名手配 生死を問わず)のDVDをみつけた。のちの大スターS.マッ
クウィーンの主演である。当時は30分の番組が多かった。
現代ものだと「パパは何でも知っている」「うちのママは世界一」など、
午後6時から8時までの間の放送だった。すてきなパパやママのお話で、
アメリカって何と素晴らしいのだろうという印象を持った。

日本の敗戦の1945年から15年位経ってこういうドラマが次々来たのも、アメリカの創作やビジネスのエネルギーだけでなく、日本を「民主化」したいという思惑もあったのだろうか。

こうして、何十話も入っている「拳銃無宿」を見始めて、30分ドラマの
面白さを改めてかみしめた。もちろん、賞金稼ぎ役のそれほど大柄で
なく見える、腰にカービン銃をさしたマックウィーンの、ヒョウのようなし
なやかさ、スマートさは魅力的である。お尋ね者の張り紙を見て、生死を
問わず捕まえたら、200ドルとか、500ドルなどの賞金目当てに生きる
ガンマンで、人には尊敬されない商売である。

しかし、その身軽さ、銃裁き、彼なりの哲学をもつ人情家でもある。
西部の町々はセットで作られているが、荒野はそのままで岩だらけだったり、棒のように突っ立ったサボテンが生えていたり、流れのはやい河があったり、インディアン(先住民)も登場する。内容は、冤罪、首つり、泥棒など様々だが、主人公はかつて銀行員だったとか。

とにかく、シナリオがよくできていて、ドラマは30分で十分だと感じたし、子どもの頃もそう思っていた。余分な説明がなく、さらっと終わる。

その後1時間物の西部劇「ララミー牧場」があり、次に「ローハイド」が
登場する。多数の牛を移動させる役目のカウボーイたちの物語。かっこいい
隊長のフェーバーさん、副隊長のロディはのちの大スター、クリント・イー
ストウッド、そしてフランキー・レインによる主題歌も力強くて素晴らしかった。この時期が日本におけるテレビ西部劇の頂点だったと思う。

   木蔭のつぶやき 13