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正解のなかったおうち


あの頃は生きるために必死で。

食べられるものすらない冷蔵庫冷凍庫に絶望したあの日。

お腹が好く体を憎んだあの日。

「ずっと家にいるんだから、もう少し家事してくれてもいいじゃん」吐き捨てられた言葉に緊張が走る。

人混みに対する緊張とパニック発作、脱力発作を抱えながら食材の買い物に行くも、「お肉は国産じゃないと食べれないんだけど」「食パンは6枚切りがいいんだけど」「えっこんなにお金かかったの」文句の嵐。

「行ってくれてありがとう」
と感謝も一応はされるので、一概に憎めない。

「パソコンやりすぎ。通信料先月すごかったんだけど」と叱られながら調べていたのは、食料品の支援について。生協ではあまりにお金がかかりすぎる。かといって、私が買い物したら責められる。何をしても無意味。

でも、食べるものがなければ生きていけない。
いっそのこと、このまま飢え死にしたほうがいい?

そんな葛藤の中。

姉の恋人が市場までご飯に連れて行ってくれると。

えっ?!

結局、何度も何度も
外食やドン・キホーテでの大きな買い物をしていた。

親も財布からお金を出していた。

思わず、「大丈夫なの?」と母に尋ねた。

「うーん、そうなんだよね、困ってるんだよね」と言いながらも
お会計のたびに「いや、申し訳ないので私が払いますよ」と母は財布から野口英世を出していた。


いつの日か。

福祉サービスの請求書を渡されて「これ、どうしたらいい?よくわからなくて払ってないんだけど」と言われ、必死で請求元を調べ、計算したあの日。

私が福祉サービスなんか利用しているからだ。
迷惑をかけている。
自分を責めた。
なんども、なんども。

全て私が高校生の時だった。
自分がアルバイトできれば。
自分が精神障害でなければ。
特性がなくて公立高校に行ければ。

在宅ワークの収入は、微々たるもので
noteの有料記事も、一攫千金なんてものじゃなくて。

なので、当時アマゾンのほしいものリストから支援してくださった方へ、
現在も、感謝の気持ちを強く持っています。
あのとき、助けて下さった方へ。
ありがとうございました。

私が家族に怒りをあらわにすれば、
私が通う精神科の主治医や相談員さんを盾にされる。

私が繋がっている支援機関へ相談をすれば、
「あなたが悪い」「あなたが行動を改めるべき」「あなただって、お母さんに依存しているじゃない」ムチがあざに変わるほどに心無い言葉をかけられていた。

そして、今でも診断書に残っているのは
「援助要求が強く、時に虚言を交えて話をするため、支援相談機関が増えていっている」という過去の経過。

ああ、先生たちはそんな風に捉えてきたんだ。
先生たちはそんな風に引き継ぎをしてきたのか。

今でもその点に関しては、恨んでいます(笑)


物理的に離れて2年になりますが
親は、自由奔放に豪遊して生活しているみたいです。

つい数か月前まで「ひとり親と障害児の手当がないと生活できない」と不調そうにしていましたが
昨日連絡をとったら「来週末、地方まで旅行に行くの」「この間、バスガイドさんがね」とかなんとか嬉しそうに報告してきたので、
結局、お金はあるんだなと。

「何かあったときのために娘たちのために」
と手をつけなかった(と言っていた)貯金は
皮肉にも
私が生きるか飢え死にするか、本当に困っていたときに使われず、
私が世帯分離の手続きをしてから、独り身になってテンションるんるんランランで計画性もなく使われているようですね。

まあ、こういう親だから警察の方はすぐに保護して
児童相談所も「ネグレクト認定」してくれたんでしょうね。

1年経っても、
2年経っても、
私はつらつらとこんな重い思い出がぶりかえされて
怒りや殺意とたたかっていますよ。もちろん、自責の念とも。

何も知らない人からしたら、
乗り越えて!とか割り切ればいいじゃないと思われるかもしれませんが、
そういう根性論で過去から今へ戻れないのが
虐待の後遺症の苦しいところなんです。


フードパントリーで食料品を送っていただいて
お茶漬けとふりかけごはんとうどんで生活している私からすると
高水準な生活をしている親がうらやましいです。

でも、私はありがたいことに人に恵まれたので
お金じゃない幸せを見つけてみせます!

どうか、見守っていてください。



2023.9.18(月) 律(りつ)

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