見出し画像

君の脚が魅力的じゃないのは

私の脚は、太くたくましい。
テレビを観ながら寝てしまった母の、無造作に投げ出された脚が自分とそっくりなのを見るたび、遺伝というものの正確さを呪う。それに比べ姉の脚は、父方の流れを汲んで、すらっと長く美しい。大人になった今でこそ、仕方のないことだと思えるようになったけれど、何度うらやましく思ったことか。それに輪をかけ、姉に短足だの豚足だのデブだのと言われて育ったものだから、それはそれは相当なコンプレックスだった。

夫が彼氏だった頃のある日、いきなり「君の脚の置き方1つで、君が自分の脚を良く思ってないことがわかる。」と言った。あまりに唐突な展開に「ん??!?」と面食らっている私に、こう続けた。

君の脚が魅力的じゃないのは、君が自分の脚を好きじゃないからだよ、と。

「そんなことないよー!」と反射的に言い返そうとしたが、心はざわつき、遠くのほうで強くうなづく自分を感じた。

そのとき、自分の脚が嫌だなんて考えてたわけじゃなかった。ただ彼の向かいで脚を組んで、注文したコーヒーを待っていた。だけど私は、想像以上に自分の太い脚にいじけてきたらしい。いつの間にか自分の脚は直視できないものとなり、ぞんざいに扱い、ましてや可愛がったり好きだなんて思ったことはなかった。そのことが、彼の目に明らかなことが驚きだった。

その日から私は、自分の脚とコミュニケーションをとることにした。鏡に映る脚をただ眺めては、久しくちゃんと見たことがなかったな、悪かったな、思いのほか責めてたよな、なんて思ったりして。よくよく見れば丸くて可愛いし、足首はキュッとくびれているし、多少?の肉がついているのは私の旺盛な食欲の結果であって脚はなにも悪くない。たくましいからこその力で助けてもらったことは数えきれないし、今日も元気に散歩へ行くことができる。全くもってありがたいことだ。

すると、少しずつだが確実に、私の脚は違ってきた。誇らしげというのは言い過ぎかもしれないけれど、なんだか居心地良さそうにしている。キラキラした目で時折こちらを見上げる愛しい忠犬のように。

自分の身体(顔も含めて)の認識って意外とズレている。そのズレが、苦しみや悲しみを呼び込んだりする。もちろん納得がいかないことはいっぱいある。それでも。

逆らえない遺伝を呪うより、一生替えのきかないこの私、いちいちいろんな部分を愛でてみよう。出産でぽっちゃりした腰回りも可愛い…ってのはちょっと無理があるけれど、嫌いじゃない。

ありのままを知って、認め、心を通わせてほしいのは私も身体もおんなじ。
とっても簡単で、誰にも左右されない魅力。
たまにいいことを言う夫も、これまた替えがきかない。

大切なもの、いちいち愛でていこう。
今日も仲良く元気に過ごせますように。


この記事が参加している募集

習慣にしていること

読んで下さりありがとうございます。もしももしもサポート頂ければコツコツ貯めて、失くしてしまった結婚指輪の購入資金にあてさせていただきます✨